今の私が自慢できるもの
昨日は、友人からLINEグループに話題が投下されて、えんえんおしゃべりしてたら深夜になってしまいました。飲みにいくでもなく、何か食べるわけでもなく、こういう風にきゃっきゃと楽しめるのは、楽しい。
めっちゃ頭よくて、仕事もばりばりにできる友達が、ちょっとしたことで悩んでいて、人ってそれぞれ、いろんな悩みがあるものだなあ、と思います。つねにつねに、完璧な人生なんてありませんよねー。一時的には「幸せ!」って思う“最大瞬間風速”みたいな充実感はあるけれど、それがずっと続くわけでないのですもんね。
他人の「幸せ!」と思っている姿ばかりを集めてしまうと、それに比べて自分は…ってなってしまうけれど、「幸せ!」ってなってる人の2時間後は「もー俺なんてダメだ」になってる可能性もあるわけで。
自分の人生を味わえるのは自分しかいないので、人と比べてはいけないなーと思うわけです。
あれもこれも、と欲張ると、たぶんどれ1つ、満足できないのではないかな、と。自分はこれをがんばってる、と思えるものが1つあれば、そこに自分をつなぎとめることができるのではないかな、と。
なーんて、その1つが自分にはない、とさんざん悩んできたのが私なんですが。
今の私が胸を張って自慢できるものって、何でしょうね。子供たちは、かわいいです。長男は、ほとんど背も私に近づいているくらいなので、昔だったら元服を済ませて立派に大人として扱われているでしょう。そういう意味では、体もしっかりしてるし、友達ともうまくやってるみたいだし、勉強は優秀ではないけれど、まあ、それなりに立派な成人です。(現代日本においてはもちろんまだまだ未成年ですが。)
でも、彼は私のものではない。私の努力や私の才能によって、立派な14歳になったわけではない。彼が彼で、自分で成長してきて、今の彼がある。だから、自慢したくはなるけれど、それは私の功績ではない。
うむー。そうか。そうやって考えると、彼氏を自慢するとか、夫を自慢するとか、それもおかしな話なのだけど、彼氏や夫は、相手が自分を選んでくれてれいる、というところが功績になるのかな。あの人に値する自分、あの人が相手として認めてくれた自分、みたいな。
親子は選んだわけではないですからね。たまたま産んだ息子がすくすくと育っている、というそういうことに過ぎないわけで。
とはいえ、最近、息子が好きで好きで、彼のことがなんでこんなに好きなんだって考えると、彼が私を「母親」という枠にあてはめないからなんですよね。やりたい放題、自由に生きている私を、責めない。さげすまない。母親とは思っていないかもしれないけど、私を友人のように扱ってくれている。そこが、私の息子大好きポイントかな、と、今は思っております。