迷わず書けばよいのか

結局、迷いがない、という状態がうらやましいのですよね。私は。

 

夢中になれるもの、誰かれかまわず「これはいいよ!」と語れるようなもの、自信をもって薦められるもの、なりふり構わず時間とお金をつぎ込んでしまえるもの。そういうものを持っている人が、うらやましい。

 

昨日会った友人の話の続きです。

 

彼女は子育ての仕方を悩んでいて、私はその悩みはいま何ひとつないので、それはめちゃめちゃうらやましがられていると思いますが、私は私で、彼女に好きなものがある、というのがうらやましい。

 

迷いがある、というのが苦しいのですよね。あ、苦しい、の話に戻ってきました。

 

私の脳みそは、決めたり、動かしたり、ということで喜びを感じます。悩んだり、迷ったり、動き出さずにいたり、ということをしていると、自分はダメなんじゃないか…と悩む。

 

悩みがなさすぎると、自分が悩まないのは頭が悪いからなのではないか…と悩み始めるのですが、それはもしかしたらけっこう幸せな状態です。今は、そんなことに悩む暇はありません。仕事のことで、けっこう真剣に悩んでいます。

 

悩んでいる、という状態のまま、ずるずる時間がたっているので、これがよくないなー、と。そろそろ何とかしなければ、と昨日、思うに至りましたので、まあ、そのうちになんとかします。そのうちになんとかします、とか言ってる時点で能天気すぎる! んですが、それが私なのだから、仕方ない。

 

判断をするというのは勇気が要りますね。新しいことを始めるというのも、しんどいものですね。

 

それだけでもしんどいのに、始めてしまったら続けていかなければいけないわけで。

 

始めることと、続けることの、どちらが大変かなー、ということも、よく考えます。どちらも大変だし、「始める」とか「続ける」とか、結局言葉の上での違いしかないのではないかな、と思います。私がこのはてなブログを書き始めたのは去年の8月ですが、そのころ、こんな書き方をしていたかというと全然違うし、そういう意味では同じ行為を「続け」ているかというとそうでもなくて、そして、毎朝、毎晩、続けている、というよりは、書くという行為を「始め」なければ途切れてしまうのだし。それに、もともとFacebookやほかのブログで文章を書くことはずっと続けていたので、場所を変えて続けているだけだ、とも言えるし。

 

言葉は言葉で大切ですが、時に、行動しか意味がないともいえる場面があります。めちゃめちゃ優秀な商品コピーを作ったところで、商品が売れなければどーしようもない、みたいなね。うおお、自己破滅的なことを書いてしまった。とほほ。