苦しむというのは

悲しみと怒りのことを考えていて、悲しみは他人に癒してもらえるけれど、怒りは共有できないので、私を怒りを与えた本人に謝罪してもらうことでしか怒りは消えない、みたいなことを前に書いて、それはそれで自分で自分を理解するための大きな助けになっていると思うのですが、今、別の方のブログを読んでいて、悲しみと怒りとも違う、苦しみ、という表現に出会って、はたと考えてしまいました。

 

苦しみ。

 

この1年ほど、悲しかったり、腹が立ったり、ということはさんざん自覚してきましたが、苦しい、と思ったことって、ほとんどなかった気がします。

 

もちろん、身体的に気持ちが悪くて嘔吐したようなときは苦しかったし、貯金の残高があまりに急激に減っていくのを見たのは「うおー、今月苦しいな」と思ったけれども、生きていくうえで苦しいとか、生きていくことが苦しいとかって、あんまり思わなかったな…。

 

努力が足りないのかしらん。と、いったんは自分を責めてみる。

 

が、すぐにそんな反省も忘れる。

 

こんな風だから、苦しまないのですねー、私は。

 

苦しみは、つらい、とも言えるでしょうか。世の中には、苦しみから逃れる方法だったり、つらい人にその状況を変える方法だったり、という情報が数多く出されています。それは、苦しいと思ったり、つらいと思ったりする人がたくさんいて、そこから救われたいと思っているから、そういう情報が求められているわけですよね。

 

しかし、私は苦しまないし、つらいと思うこともない。

 

稀有なメンタルの持ち主であるなあ、と思います。というか、めでたいなあ。頭が悪いというだけのことなのではないだろうか。うーむ。

 

苦しみって、あるはずのものがない、という状態のときに感じるのではないかと思います。ざっくり言ってしまうと、幸せになれるはずなのになれていない、と感じるとき。世の中の多くの人が持っていて、私も持っていても不思議ではないはずなのに、私にはない、と思ったとき。かつて持っていたものをなくしてしまったとき。なぜなくしてしまったのか、どうしていたらなくさずに済んだのか、と悔やむとき。自分は最大限に努力して報われるはずだったのに報われなかったと思うとき。

 

そういう状態こそが、苦しいのかな、と思います。

 

私の今の心配事は、ああ、あのときに健康診断を受けておけばよかった、と将来苦しむのは悔しいので、早めに健康診断の予約をすることですね。あー、めんどくさい。美容院みたいに、1年後の〇月〇日に受けます、と予約して帰ってきてしまいたい。というか、それを自分でやりなさいよ、まったくもー。