非科学的な倫理

うすぼんやりと、頭が痛い、ような気がする。少し前までけっこうな頻度で頭痛がしていたので、なんだかもう、痛いんだか、痛くないんだか、よくわからなくなってきた。

 

頭痛のときに、頭痛薬を飲むのが好きで。私は、医学の力に頼って快適に生きていくのが好きなのです。出産のときも、自然な出産とか、あんまりいいと思わなくて、でもガチガチに管理された出産もイヤで、いい感じに自然に任せつつ、何かあれば母子の命を医学の力で守ってくれる、という感じの産院を選びました。

 

非科学的なものよりは、科学的なものが好きです。確率的にうまくいくものを選んだ方が、命が助かったり、ものごとがうまく運んだり、といった面はおおいにある。けど、科学がすべてを支配しているわけではない、ということも分かっている。医学にも限界はある。

 

なんで病気になってしまうのだろう、ということに、常に原因があるわけではないと思う。科学的にすべてを予防して生きたとしても、病気にはなる。それは、たぶん、確率的なものなんだろう。だから、そこに明らかな原因がないものもたくさんあって、それを無理やり理由をつけたり、原因を探してきたり、というのは、あんまり私は好きではない。

 

ずいぶん前に知人が乳がんになって、それをまわりの人間関係のストレスのせいにしていたのだけど、もし私の親しい人が、がんになったのを私のせいにされたらたまったもんじゃないなあ、と思う。

 

そうじゃなくても、私は優しいので(って言い切りましたよ、このおばちゃん)、本当に愛している人が病気になってしまったら、私が悪かったのではないか、私が悪運を引き寄せてしまったのではないか、と自分を責めると思う。

 

上の二つって、めっちゃ矛盾してますね。非科学的ですね。でも、私の心理ってそういう感じなんだよなー。自分の感情とか心理とか、感じることがすべての中心。

 

そんな私が、科学的に生きているのかどうか、まったくもって怪しいもんだと思いますが、自分ではそう思っているのだから仕方ない。

 

人間、主観から離れるなんて無理なんです。客観的になろうという努力はできても、究極的には自分を客観視なんてできないんです。

 

だからこそ、一周回って、自分は自分を大切にしたいなあ、と思う。他人からどう見られているか、なんて、絶対に分からないのだから、自分が自分でいいと思う生き方をしたらいい。

 

それってたぶん、美学とか哲学とか呼ばれるものなんではないだろうか。美意識とか、倫理とか、そういうものかな?