私の考える豊かさとは

昨日、きいいいっ! って怒っていたせいか、PCがさくさく動くようになってきました。試運転を終えた? 頼むよー。生活かかってんだからねー。

 

生活。どんな生活。どんな人生。どんな世の中。

 

私、一言でいうと、豊かな人生を送りたいのですよね。豊かな人生は、豊かな生活とも違う。だけど、豊かな人生は豊かな世の中と近い。

 

豊かさとは、選択肢の豊かさです。ものがたくさんあるのが豊かなのではない。時間があり余るのが豊かなのではない。

 

その人が、その人のしたいことを、いつでも好きなときに好きなように選べる。それが豊かな人生であり、他者がそれを許してくれる、つまり多くの人が、多くの生き方を選べる世の中が豊かな世の中だと思う。

 

めっちゃ働きたい人はめっちゃ働いたらよい。あまり働きたくはないけど、働きたい人をサポートしたい人はサポートしたらよい。ぜーんぜん働きたくない人は、他人に迷惑かけない程度に世の中に貢献して、それで自分で自分を責めることなくいられたらよい。

 

自分の人生、これくらいがちょうどいいな、というのを、みんなが選べるようになるといい。私の思い描く豊かな世の中というのはそういう世の中。

 

私は、たぶん立場的には趣味とかプライベートとか一切放棄して、ガンガンに働くべき人間なのかもしれないけど、すみません、それ、できないです。したくないです。

 

私、若いころにもうさんざん社会貢献したと思うんで、もう、この年になったら少し休ませてくださいまし。自分の食べる分くらいはちゃんと稼ぐんで。

 

もちろん、こんな考え方ではなくて、40代ともなればガンガンに脂がのって、がしがし人を動かしてジャンジャンお金を稼げるような人、というか、それをしたい人は、どんどんやってくれたらいいと思います。そして、働きたくても働けない人を助けてあげたらいい。どんな形でもいいから。税金でもNPOでもボランティアでも寄付でも、なんでも。

 

世の中に貢献する方法はいくらでもある。普通に働いて、普通に税金をおさめて、普通に会社からお給料ももらって、何かを買うことでお金をまわして、それだけでも本当は世の中のためになっている、はず。

 

はずなんだけど、自分で自分を認めるのがいちばん難しいのかもなー。私もそれで、会社を辞めちゃったしなー。

 

でも、辞めることができた、というのが私の豊かさだった、とも思う。辞めたあとでも、自分を認めることができているから。会社は火の車ですけど!

 

って悪い冗談言ってる場合か。月曜日だ。働くべし。

 

はい、皆さまもよい1週間をお過ごしください。