引っ越しと家族の話

おはようございます。最近、朝起きるのがラクになってきました。季節のせいですかね。冬はつらかった。冬のないところに行きたいなー。

 

住むところを変えるというのは、すごくコストのかかることですね。アメリカ人とかすぐに引っ越しするイメージですけど、あの心理的ハードルの低さっていうのは、何なんでしょう。逆に、日本人があまり住む場所を変えないのは、何に固執しているのでしょうね。

 

あまりアメリカ人、とか、日本人、とか、実態がありそうでなさそうなものの話をするのは好きではないので、具体的に考えると、私はこれまでに何回引っ越しをしたでしょうか。生まれたのは愛知県のど田舎です。愛知県も、私の家があった市も、田舎ではありませんが、私の家があった、もっと言えば、私の祖母が先祖代々住んでいた場所はど田舎なんです。ちなみに父親が今、ひとりでそこに住み続けています。父さん、あなたはなぜそこから引っ越さないの???

 

高校までをそこで過ごして、大学時代は神戸でひとり暮らしをしました。めちゃめちゃ古い文化住宅での一人暮らしを始めたのですが、阪神大震災でこの下宿が全壊しまして、寮に引っ越しました。全壊といっても、くしゃっとつぶれたわけではなく、壁土が落ちたとか、外階段が離れたとか、そういう程度の壊れ方でした。そうなんですよー。私、阪神大震災を、神戸で経験してるんですよー。単に引っ越しのことを書こうと思ったのに、書き出すといろいろくっついてきますね。

 

引っ越した先は大学の寮で、シェアハウスでした。1つの玄関に部屋が3つ。それぞれの部屋にミニキッチンがついていて、共有するのは洗濯機とお風呂場だけ。シェアハウスというと、和気あいあい、みたいなイメージがあるかもしれませんが、ほかの部屋の住人とは、いっさい交流がありませんでした。どんな人が住んでいたのか、全くもって思い出せないくらい。今の私だったら、図々しくコミュニケーションをとろうと過剰な社会性でもってあとの2人の生活に踏み込んでいたかもしれませんが、そのころの私は、ごくごく普通の、正しい大学生でした。全くもってお互いの生活に干渉することなく、ひたすら他人として顔を合わせないようにして同じ屋根の下で暮らす。あれは、ある意味で理想の家族だったかもしれません。絆なんて何もないけれど、存在を認めて、配慮しつつ暮らす。お互いがお互いに対して何の期待もなく、心配もない、という共同体。それって共同体って言うのかな?

 

ここまでで、3つですね。続きはまた今度。では~。今日も東京は寒いのかな?