記憶を引っ張り出して分析する

いろんな方の書かれたブログを徘徊していると30分くらいがあっという間に過ぎてしまう。1日30分を続けたら、それは膨大な量になるので、それを勉強とかビジネス的な投資とかに使えたら、私はもっと成長するのかもしれないけれど、まー、どうでしょうね。この年になって、人間性とか、成長性とか、あんまりもう変わらないんじゃないかなー。

 

という感じで、けっこうあきらめかけてはいるのですが、それでもまあ、ふんばっている方かな、と思ったり、思わなかったり。ぐだぐだと、揺れているばかりの文章は面白くないですよね。面白いことを書く必要もないんですけど(←また揺れてる)、せっかくお読みいただける方がいるのであれば、読んでよかったと思っていただけるものを書きたいものですね。

 

頭の中のことを書こうと思うと、脳はぐちゃぐちゃといろんなことを引っ張りだしてしまうので、過去にあったできごとのことを書こうと思います。

 

初めての海外旅行。

 

高校3年生の、大学受験が終わった後、母親と二人でロサンゼルスに行きました。母親にとっては、何年ぶりの海外旅行だったのだろう。今の私は、子どもたちをほったらかして、一人で海外に何度も行ってしまうような母親ですが、私の母は、たぶんそんなことはできなくて、私が一緒に行けるようになるまでひたすら我慢していたのだと思う。

 

3泊4日、みたいな弾丸旅行でした。写真に残っている風景以外で、私の記憶に残っていることって、何だろう。自由時間の多いツアーだったのだけど、大学生の男性二人が一緒で、食事のときに隣の席になったりして、その後も一緒に〇〇をまわりましょうか、みたいな話になったんだったか、それを断られたんだったか、彼らが距離を置こうとしているのが感じられたんだったか、母親が「私もうさぎと同じくらいの年齢だったらきっとすぐに仲良くなったんだろうけどね」と言い訳がましく言っていたのが、妙に印象に残っている。

 

あの時は、世の中の仕組みとか、世間の多くの母娘関係とか、分かっていなかったけれど、今になって考えると、あのときの母親の心境は「いつまでも嫁に行かない娘」に対する気持ちと似たようなものだったのではないか。その、さらに1年くらい前、高校2年生のときに、私は彼氏にふられてとても落ち込んでいて、そのとき、母親はかなりおろおろしていた。今でもときどき、「Mくんにふられたときのうさぎは見ていられなかった」みたいなことを言う。

 

思うに、あのときの私は自分では自覚がなかったけれど、母親からしたら私はすでにいい歳の娘で、娘が恋愛をすることを後押しする気持ちがあったのではないか?

 

記憶の中の母親のセリフや表情を分析してみると、そんな風にしか思えないのだ。

 

だから、何だ、という自分でも全くもってわけの分からない文章を書いてしまいました。人間のやることって、本当に意味が分からない。

 

皆さま、よい1日をお過ごしください。