今はまだ届かないラブレター

基本的に言葉というのは、文字でも音声でも、一人に届けばいいと思っていて、それはなぜかというと、たった一人に伝わらない言葉が、大勢になんて伝わるはずがない、と思っているから。

 

なのですが、やっぱりたくさんの人に伝わると嬉しくて、今朝の記事にたくさんの方がスターを、しかもおひとりずつがたくさんのスターをくださっているのが、本当にうれしいです。ありがとうございます。

 

一人に届けばいい、の本当に大切な一人というのは、私です。自分自身です。

 

今朝、こことは別に、まったく別の話題と書き方でFacebookに少し長めの投稿をしたのですが、その投稿をした後で、気づけば何度も何度も、その文章を読み返している自分がいて、はっと気づきました。

 

私、自分の書く言葉が大好きなんだわ。

 

たとえば、おしゃれを好きな人が、新しい服を着て、鏡の前でなんども自分の姿を映して幸せになるように。

 

写真を趣味にしている人が、会心の1枚を長い時間眺めて満足するように。

 

料理を得意な人が、自分の作った料理を美味しい、美味しいと味わうように。

 

私は、自分の紡ぎだす言葉が大好きで、紡ぎだせる自分の言語能力を誇りに思っていて、それをほんの少しだけでも、こうして発表できる場があることを、とても幸せに思っている。

 

子供には、できる限り大好きだよ、と伝えているけれど、それとは別に、一人1冊、ノートを用意していて、半年に1回を目標に、その時に子供たちに伝えたいことを書き留めている。長男は大学ノート。娘には可愛らしいファンシーなノート。次男はロルバーンのリングダイアリー。

 

なかなかタイミングがないのだけど、ゆっくり落ち着けるシチュエーション、たとえば旅先とか、逆に子供たちが旅行に出てしまっていないときなどに、書くようにしている。半年とか1年に一度。一度に2~3ページ。

 

子供たちが、将来、少しでも「自分は愛されていたのだ」と思ってもらえるように。私の愛がうまく伝わる保証は何もないのだけれど、努力の跡が、少しでも見えるように。

 

大事なのは、方法。母親が子供を愛するのは珍しいことではない。けれど、その愛情の表し方には、上手い下手があると思う。

 

私には、服を縫ってやる技量も、毎日食事を作ってやる立場も、不自由ない金銭を渡すだけの経済力もない。けれど、たぶん、言葉を紡ぐことは、少しだけ得意だ。だから、その言葉を使って、子どもたちに愛を伝えている。

 

子供たちがそれぞれ二十歳になったら、私の言葉で満たされたノートを渡すつもり。写真を整理してアルバムにまとめるマメさもないからね、私には。

 

と、これを書いている1.5メートルほどのところで、長男がYouTubeGreeeenを聞きながら、パズドラをしている。そろそろ自分の家へ帰りなさいよ。いてくれるのはうれしいけどさー。キミが近くにいると、見つめるのに忙しくて母ちゃんは勉強が手につかないのだよ。