話を聞いていてツラい

お昼にひとりでカレー屋さんに入って、カウンター席に座ったら、隣に座った女の人二人組のうち、私のすぐ左側の方の女の人が、ずーっとずーっとずーーーーーっと、会話の主導権を握るため「だけ」に発話をしていて、聞いていて心底疲れた。

 

…。

 

と、今、実は10行ほど、その会話を再現してみたのだけど、あまりに支離滅裂で、文章にするとその会話の続き方があまりに不自然なので、書くのをやめました。でも、本当に支離滅裂な会話で、でもずーっと二人はしゃべり続けていて、あー、いつもこういう関係性なんだろうな、と思って、つらかったです。別に、本人たちは気にしていないというか、それを普通のこととして毎日お昼を一緒に食べてるのかもしれないけど。あー、でも私はつらかった。

 

私も、人と話しているときにすぐ「でも」と言ってしまうので、それは自分で気を付けなければ、と思っています。相手に何か気づきを与えたいとか、相手の知らないことを言ってみたい、みたいな気持ちが働いてしまうんですよねー。醜いわ。

 

なんですが、相手の言うことを全部そのまま受けとめるのって、けっこう難しいんですよ。特に日本人は謙遜するので。「いや、私なんて全然能力もないし」って言われたときに、「そうですかー、能力がないんですかー」って相槌打てないじゃないですか。そういう人って、否定してほしくて言ってるんですかね? こっちが反応に困ることを、なんで言うんでしょうね?

 

怒っている人の話も聞けるし、悲しんでいる人の話も聞けるし、もちろん喜んでいる人の話を聞くのも楽しいけど、自分を大切にしていない人の話は、聞いていてツラい、かもなあ。笑えない自虐的な話は、どう反応したらいいのか、とても困る。もちろん、聞き手のことを無視して話しているのを聞くのもツラいけど。

 

基本、人って誰かの話を聞くよりも自分の話を聞かせたがる。私も、自分の話を聞いてほしいってことを自覚してるからこそ、人の話を聞かないで話す一方の人がとても気になるんだな。

 

一方的にしゃべりすぎる人にならないように、毎朝、毎晩、こうして私はブログにしゃべりたいことを書き連ねているのです。私が誰かの話を聞けているとしたら、それはたぶん、ブログのおかげというのが大きいと思うなー。

 

毎日、私の勝手なおしゃべりにお付き合いくださって、ありがとうございます。おやすみなさい。