手負いのうさぎ

自分の気持ちを言葉にするのって、ある程度の時間が必要ですね…。

 

特に、ネガティブなことが起こったとき、自分の中に沸き起こる感情を言葉にできるまでには、私の場合、一晩眠ることが必要かも。

 

昨日、ものすごくイヤな気分になるささいな事件があったのだけれど、昨晩の時点ではそれについて書こうという気にはなれなかった。けど、今、眠った後で落ち着いた気持ちで、その感情について向き合おうとして、やっと言葉が出てくる。

 

自分が誰かを怒らせている、ということが分かると、ものすごく気分が委縮するのだなあ、と思いました。離れている人だとしても、その怒りが何らかの形で伝わってくると、見えない波動のように、それが私を傷つける。

 

できれば誰も、怒らせることなく生きていきたい。怒らせてしまった相手には、謝罪をして生きていきたい。

 

けれど、謝ることができないときもある。どうしても自分が悪いとは思えないときがある。

 

対話ができない相手には、謝ることができない。心を閉ざしてしまった人、私のことをもう必要ないと思ってしまった人、私を見離した人。そういう人たちに、私の過去の行為や言葉について、本意を伝えたり、妥協点を見出したりすることはできない。

 

そうか、書いて分かったけど、「謝ることができない」には2つの意味があるんだな。「自分が悪いと思えないから謝りたくない」と、「相手が話を聞かないから謝罪が機能しない」という。

 

だから、私には今、その人の怒りを鎮める方法がないわけです。怒っているのは彼。傷ついているのは私。

 

怒っている誰かの怒りを鎮めることができないのだから、私は傷ついている自分を癒すしかない。

 

その方法は分からないけれど。でも、時間は過ぎてくれる。小さな傷は、時間が癒やしてくれる。

 

きっと私も、どこかで誰かを傷つけているのだろうなあ。誰よりも、昨日怒らせてしまったその人を。だけど、仕方ない。彼は彼で、自分を癒してもらうしかない。

 

自分以外の人を、信用する。私が私の傷を癒やせるように、他のだれかもその人自身に自分を癒す力があると信じる。

 

私にできることは、それしかない。

 

とは言え、思ったよりも私自身の傷は深いようで…。ちょっとしばらく、陰鬱な気分で過ごす、かも。すぐに回復する、かも。未来のことは分からない…。