パジャマで人生を考えてみた

とうとう今日は、パジャマから着替えず、布団も上げないままで過ごしてしまった…。こんな休日の過ごし方でいいのか⁉ まあ、昨日が充実していたからいいか。ってそんなバランスの取り方に意味があるのか分からないけれど。

 

がっつり働いても、だらだら過ごしても、1日は同じように終わっていく。今日は、だらだら過ごす、って決めたから、わりと後悔はない。このあと、運動してから寝よう。

 

ヒマを持て余すと、ろくなことを考えない。たぶん、ちょっと忙しくしているくらいがちょうどいい。

 

私は昔から、「散歩が趣味」だと言う人をすごく素敵だと思っていて、それはなぜかというと、空いている時間をお金を使わずに楽しく過ごせるのって、すごく豊かなことだと思うから。そして、歩いていける身近な範囲のことを、発見したり面白く思ったりできる感性って、すごくステキだなあ、と思うから。

 

なんだけど、私は散歩がものすごく苦手。何か目的がないと、時間を無駄にしてしまう気がして、落ち着いて散歩ができない。散歩の仕方が分からない。散歩している間に、何か買ってしまうと、買わなくてよかったはずのものなのに…と後悔してしまう。ほんと、散歩が苦手。

 

私はあと2か月弱で43歳になる。この年になると、人間そうそう変わらない。バリバリ仕事している女の人がうらやましくて、環境も職場も変えたけれど、だからといって、私は私のまま。感覚として、バリバリ働くよりも、やっぱり子供と一緒にいたり、ある程度の休息をとったりという働き方は変わらない。

 

まわりのステキに見える人にあこがれて、焦っていた時期もあったけれど、今となっては自分は自分でしかないなあ、と思う。自分の人生こんなもんか、と、絶望していた時期があったけれど、今は、私の人生はこんなもんだ、うん、上出来じゃん、と思う。

 

たぶん私は、いくら頑張っても、いくら力を出しても、「まだできたはず」「全力は出していなかった」と思う気質なのだと思う。そしてそれは、ずっと変わらない。人に対する自分の出し方も変わらない。

 

そして、まわりの私を見る目も、たぶん変わらない。自信ありげで、いつもしっかり自分があって、全てをさっさと決めてしまって、前向きにがんばる人間だ、という印象を、与え続けるだろうし、もたれ続けるのだろうな、という気がする。

 

そんな風にしか生きられないのだ。この年になると。倍したら86歳。いくらなんでも、折り返し地点って考えていいのではないか。

 

いや、そういう例えは危険だ。人生はマラソンではない。旅でもない。物語でもない。

 

人生は人生であって、とにかく生きていかねばならんのだ。老いていかねばならんのだ。できることなら、よく生き、よく老いていきたい。

 

と、朝から顔も洗わずパジャマも着替えていない人間が言ったところで何だ、っていう話ですがね…。オヤスミナサイ。