変えることと考えること

なんで私が幸せなのかって、不幸だったことを忘れる能力があるからだ、ということに気づきました。あと、めちゃめちゃ小さくてどうでもいいような幸せを、やたらと味わうことに長けている。

 

それから、自分がイヤだな、と思う状態を変えようとする力も強い。そのときの変え方が、かなりの年数をかけて、自分が努力する方向にもっていくという方法である。そして、その努力がもうこれ以上ダメ、となったら、あっさり身を引いてその場から逃げます。

 

好きなら続けろ。つらいならやめろ。

 

一言でいうと、これかな。昨日の投稿とも関連しますが、私は感情の動きをやっぱり大切にするので、「好き」だと思えるうちはがんばり続けます。が、「つらい」が「好き」を上回ったら逃げるに限る。「好き」も「つらい」ももちろん時間の経過によって揺れるけれど、そこは自分を観察。あー、これはちょっと、好きだけどつらすぎるな、と思ったら逃げる。

 

逃げることとか、やめることとか、昔は苦手でした。たぶん今でも苦手かもしれない。そこは主観だから分からない。大人になると通知表みたいに誰も「よくできる」「もう少し」って判断してくれないので。

 

逃げるとか、やめるとかって、負けるみたいで、しちゃいけないって思ってました。がんばるのが当然、続けるのが良きこと、って思ってました。

 

でも、ここへ来て自分の身を守るためなら、逃げてもいいしやめてもいいんだ、って、思えるようになりました。

 

私の場合、ちょっと極端にふれてしまうところがあるので、なんだか最近は人生全体が投げやりですけどね(笑)。

 

でもたぶん、まわりには投げやりな態度に見えていないだろうな。人の脳って勝手にウソを作り上げるから。昔の頑張り屋さんだったころのうさぎちゃんしか知らない人は、「うさぎちゃんは今でも頑張り屋さん」って思い続けてるはず。第一印象って、なかなか覆らないんですよ。

 

それはたぶん、人は本能的に「変わること」を嫌うからでしょうね。同じ状況でいるほうが、楽。変えることにはパワーが要る。

 

だからこそ、変えていくことも、時には重要。変えないことも時には重要。

 

こういう「どっちも重要」ってなると、また人は混乱するんですよね。考えるのは、何より疲れるから。

 

私ももう、考えるのめんどくさいです。だけど、生きていかなくては。考えながら、生きていかなくては。

 

誰にだって、悩みはある。はず。たぶん。

 

いやー、ぐるぐるしますね。なんか、カラカラ回るおもちゃの中で走り続けるネズミみたい。

 

とか言っててもおもちゃからは脱出できないので、仕事します。今日も1日がんばりましょう。