好きじゃないことでもしている

仕事の量としてはちょっともの足りないくらいだったけど、夕方6時半くらいに会社を出ると、帰りに買い物したとしても、まあ8時くらいには家に着いて、料理なんかもできて、子どもとも触れ合えて、その後でまたDVDを返しにいく(駅で返し忘れた)なんていうこともできて、なかなか良いです。いやほんと、これくらいのペースで生活できて、焦ることなく、安心していられる生活なら、そんなにいいことはない。

 

しかし、仕事の量を適切に保つというのは、なんとも難しいものですな。これまでの仕事人生を振り返ってみても、めちゃめちゃ忙しくてお金はあっても使うヒマがない、か、けっこうヒマだけど無駄に使えるようなお金の余裕はない、か、めちゃめちゃ忙しくてお金もない、か、それほど忙しくはなくてお金は緊急事態と言っていいくらい絶望的にない、のどれかしかなかった気がする。なんてこった。

 

料理は好きではないけれど、今日は久しぶりにポトフを作った。今、鍋をバスタオルと綿毛布でくるんである。明日の朝にはにんじんが柔らかくなっているといいな。明日の夕方には、子どもたちが遊びにきて食べてくれるといいな。

 

小2の次男は将来、「先生」と「お父さん」になりたいんだそうな。結婚して子供が欲しいんだと。我が家のこの状況で、子供が欲しい、父親になりたい、って思うのが、なんとも不思議な気がするが、まあいい。がんばって子供を産んでくれる相手を見つけるがよい。小4の娘は「子供要らない。めんどくさい。私は自由に好きなことやりたい」と言っている。う、うん。いいんじゃないかな。お母さんも、今、自由に好きなことやってるし。その姿を見て、自分もそうしたい、と思うのであれば、お母さんも、嬉しい、よ…。

 

ちなみに私は、子どものころ、小さい子供とか赤ちゃんとかが、大嫌いであった。自分が子供を産むとか育てるとか、絶対にイヤだと思っていた。おませな小学校高学年のときに、「もう子供が大きくなった男の人と再婚したい」などと思っていた。

 

しかし、ホルモンとは恐ろしいもので、そんな私が3人も産んでしまった。子供を産んだあとで、「子供を産みでもしない限り、子ども嫌いのままだっただろうから、産んでよかった」とかいう考え方をしたような気もするけれど、すでにどんな風に考えたのだかも、忘れてしまった。

 

今の私は、ホルモンのいたずらが収まって、本来の私に戻った感じだ。自分の子供たちのことは可愛いし、愛しているし、危害を加えていない自信があるけど、じゃあ一般的に“子供”というものが好きかと言われたら、やっぱり好きではない。別に、面白くもない、という感じ。

 

話が通じて、自分で自分のことができる大人の方が、面白いよ。少なくとも私は、対等に付き合える大人と一緒にいるほうが、楽しい。

 

こういうこと、言っちゃいけないみたいに思われてるけど。言うのはかまわないでしょう。自分が、子どもたちにとっては、いてもよい母親だという自信があるからこそ、言えること。

 

人間、言っていることとやっていることの間には、大きな乖離があるのです。お気をつけくださいましね。

 

おやすみなさい。