他者の選択は尊重したいという話

Emilyさん、いつもスターをありがとうございます。そして、昨日のコメントも。心優しいEmilyさんのブログはこちら。

雨の日も晴れの日も、僕ら。

ブライアン・アダムス、私も大好きでした!!!

 

前の記事にいただいたコメントに応える形で、私は “みんな「仕事大好き」「俺ってカッコいい!」「私ってば素敵!!」って思いながら働ける世の中になるといいですね~♪” って書いたんですが、だからって、そういう風に思えずに働いている人が悪いとも思わないです。誰もが誰も、好きな仕事、やりたかった仕事、やりがいのある仕事、ができるわけではないと思うので。

 

最近思うに、私はあまりに寛容すぎて、「あれもいい」「これもいい」「それもいい」「どれでもいい」みたいにまるで自分の意見がないみたいになっちゃってるのですが、私自身は、私のやりたいこと、私の好きなこと、私のすべきと思うこと、などなど、自分に関しての意見や嗜好はあります。

 

が、他者の選択については、ことごとく寛容でありたい、と思っています。

 

私は育児が苦手で仕事が好きだけど、育児にやりがいを見出す人は素晴らしいと思う。私は家事が苦手でボランティアが好きだけど、家事が好きな人のことも尊敬します。私は植物を育てるのが苦手で猫が好きなので、植物を育てるのが得意な人は神様のようです。声もあげられない生物の命をはぐくむことのできる人たち、信じられないほどすごい。私、赤ん坊が泣き声あげなかったら死なせてたと思いますね。サボテンをいくつも枯らせた女ですから。

 

ところで、子どものころは猫と犬を両方飼うのが私の夢でした。ぜんぜん、叶っていません。このマンションにいる限り、どちらも飼えません。やっぱり、猫を飼いたい。引っ越すことができる状況になったら、猫の飼える部屋に引っ越したいなー。犬と猫、両方飼うのは難しいかなー。

 

って考えると、たぶん猫を飼いだしたら、私、猫にメロメロでブログなんか書かなくなっちゃうと思いますね。それはそれでいいのかな。子供のころの夢を追うのと、ブログを書くのと、どっちが大切かな?

 

って、比較するのが間違ってますね。なんだかこの頃、また書いてることが支離滅裂です。なんでかっていうと、お腹が空いているからです。三大欲求が満たされない状態では、人間、文化的な活動なんてできないんです。

 

はい、今日も1日がんばりましょう。私はこれから豆とベーコンとキャベツのスープを作ります。