愛するなんて簡単だ!
うっかり2記事続けてタイトルに「難しい」と入れてしまって、しかもそれが全然呼応していないっていうか、ばらばらのテイストで完全に無自覚で、悔しいので逆のことを言ってみようと思いました。
誰かを愛するなんて簡単です。相手がしてほしいことをすればいいんです。何がしてほしいか分からなければ聞けばいいんです。聞いても分からなければ様子をうかがえばいいんです。観察です。
小4、小2の下の二人は、まー、私と一緒にいると楽しそうです。そりゃそうでしょう。見たいだけYouTubeが見られて、「お茶ちょうだい」と言うだけでコップに入った麦茶が出されて、「パンください」と言うだけでバターとブルーベリージャムまで塗られたトーストが差し出されるのですから。
そして私は1日に5回くらい子供たちに「大好きだよ」と言います。「可愛い、可愛い、本当に可愛い」と言います。
さらには具体的に、「〇〇の書く字は本当にきれいだね」「〇〇はすごくよく気が利くね」「宿題がんばってえらいね」「毎日元気に学校に行ってすごいね」とほめまくります。
子供に対して怒ったり腹が立ったりしないのか、というと、しないです。だって、怒ったり腹が立ったりすることを、しないんです、うちの子たち。少なくとも私と一緒にいる間は。
現時点で、子供たちは私の愛を確かに受け取っていると思います。子供たちに「愛されている」という自覚はないとしても、「きみたちのお母さんはきみたちが好きだと思う?」と誰かに聞かれれば、間違いなくイエス!と答えると思います。
ただし、中1の息子は違います。
そもそも、私のところに来ません。来ないということは、来たくないということです。来る必要もないということです。そんな相手を、無理やり会いにこさせるのは愛ではない。
もちろん、ときどき顔は合わせます。世間話くらいはします。「今日は暑くなるってよ」とか。「夕方から雨が降るみたいよ」とか。
まー、気のない返事が返ってきます。無視しないくらいは礼儀だと思っているのでしょう。ええ、ええ、それで十分です。他人ですから。
それでも、観察していると、私を嫌ってはいないのではないかと思います。この間、彼が食事している間、黙って隣に座っていたことがありましたが、ふと、「あのさ、不等号ってあるじゃん」と話しかけてきました。「ふと」と「不等号」をかけたわけではありません。本当に先日そう言って話しかけてきたのが、私はとても嬉しかったのです。
母親から息子への愛なんて、報われない恋の代表みたいなもんです。ハナから自分のものにはならない相手、尽くすだけの愛です。
その相手から、声をかけてもらった。話しかけてもらった。それだけで、この上なく幸せなことです。
玄関を出ていくときには、「じゃあね」と手をふって、いちおう、目を合わせてくれます。
私の最愛の相手は息子なんです。最愛の相手が芸能人という方も多いと思いますが、その相手が目を合わせて手を振ってくれたとなったら、そりゃーもう幸せですよね。たぶん、それと同じくらい、私は息子が目を合わせて手をふってくれる毎朝に、幸せを感じているのです。
私の母としての愛は、こんな感じです。おやすみなさい。
さっきスーパーに行ったら、きのこ売り場でホクトさんのCMががんがん流れてました。「“きのこらぼ”で検索!」っておっしゃってましたので、検索いたしました。