実況中継

まだ、ぐだぐだしています。布団から出るけど、着替えられない。鼻水と汗が大量に出る。熱は平熱。

 

人間、ストレスを感じると、何か食べたくなります。私もさっきから、コーヒーゼリー、焼きそば、ヨーグルト、トースト、と、めちゃくちゃな食べ方をしています。

 

そして食べて、食べたら太るのに、と凹む。活動もしてないで食べるなんて、もっと太るのに、と凹む。

 

昨日の夜、いつも、常に、オールウェイズ、自分のことを認めていたい、と書いておきながら、この体たらく。

 

人間の存在は、矛盾に満ちている。誰か自分じゃない人を、まるごと理解するなんて、どだい無理な話だ。私の中には、超絶にポジティブな部分もあるけれど、どうしようもなくだらしない部分もある。パジャマで汗をかきながらコーヒーゼリー、焼きそば、ヨーグルト、トーストを食べている私は、気がふれているようにしか見えないだろうが、きっと今日の午後にはきちんと着替えて、地域の人たちに笑顔であいさつしてまわる、精神的にいつも落ち着いている母親だ。

 

人間のありのままの姿、まるごとの姿というのは見苦しい。醜い。

 

見苦しいとは、見るのが苦しいと書く。醜いとは見にくい、つまり見るのが難しい。正視に堪えない。だから、目をつぶる。

 

誰かを理解するというのは、その人のことを切り取るということだ。いい面だけを見る。自分の見たい面だけを見る。一部分だけを見て、この人はこういう人だ、と理解する。

 

理解してほしい相手には、わかりやすい面だけを見せる。仕事の相手には、賢くて頼りがいのある自分を。恋してほしい相手には、はかなくて一緒にいる誰かが必要な自分を。

 

どちらも、私だ。

 

私は、全部の自分が好きだ。私は、少なくとも私は、自分のイヤな部分を捨てたり、否定したり、やめてしまいたいとは思わない。

 

何より、こうして自分の醜い部分を、言葉にできる自分が好きだ。

 

こんな自分大好きな私に書く場所を与えてくれているはてなブログさん、ありがとう。