「母」がモチーフの漫画を読みました

無料で読める面白いブログは山ほどあるので、それらを読んでも時間は過ぎていくのですが、なぜか、なぜだか、自分で「こんなことしていていいのか」って思ってしまうのです。

 

その、自分で自分を責めたり疑ったりする感覚が、私はすごく嫌いで、できる限り、文字通り、できる限り目いっぱい、いつも、常に、オールウェイズ、自分で自分のことを認められる状態にしていたいのですね。

 

なので、家の近くの本屋さんにいって、本を買ってきました。

 

ぜんぜん本が読めなくて、読みかけの本がたくさんあるというのに、さらに本を買うってどういうこと?って思うのだけど、それって、本が読めないのではなくて、読める本が手元にないってだけじゃないの?と発想の転換をして、とにかく読めそうな本を買おう、と思ったら4冊も買ってしまいました。

 

もちろん、本を選ぶ間ずっと、このことをブログに書くことをイメージしてましたよ。

 

話は逸れますがね、今、とにかくブログを書くのがとても楽しいので、1日中何をしていても、「あ、これ書こう」「お、これ書きたい」ばっかり、脳裏に浮かびます。カメラにハマっている人は、「あ、これ撮ろう」「お、これ撮りたい」ばっかり思ってるだろうし、金もうけに執着している人は、「あ、これ稼げそう」「お、これ稼ぎたい」って思うだろうし、恋をしている人は、「あ、これあの人に伝えよう」「お、これあの人に伝えたい」って思うんだろうな。恋っていいですね。

 

えっと、何の話だったっけ。

 

あ、そうそう、本を買ったんです。4冊。で、そのうちの1冊をもう読んでしまいました。

 

 

ねぇ、ママ (A.L.C.DX)

ねぇ、ママ (A.L.C.DX)

 

 

入った書店は、駅から離れていて、でも私の家からは近くて、とても小さな書店で、今はやりのこだわりのおしゃれな書店です。ツイッターでもよく話題になってます。って、その書店のアカウントをフォローしてるんだから、当たり前ですね。

 

でも、その書店に、この漫画が、読んでくれ、と並んでいたのですよね。買わないわけにいかないですよね。

 

「母」をモチーフにした珠玉の短編集。

 

帯に、「かつて子供だった母親と、やがて母親になる子供たちへ。」ってあるけど、これ、あまりうまいコピーじゃないと思う。映画『オール・アバウト・マイ・マザー』の「母から生まれたすべての人に」(みたいな感じ)は衝撃のコピーだったけど、ちょっとそれとは違うんだよなー、中身のテイストがさ。「かつて子供だった母親」は出てこないよ。たしかに母親はみんなかつて子供だったでしょうよ。だけど、ここに出てくる母親は、みんな、完璧に母親だ。子供であったときの面影なんて片鱗さえ残っていない。

 

自分の子供を見つめるまなざしは、自分の子供時代を重ねるまなざしでは決してない。母親としての人生が始まった時点から、完全に母親になり、絶対的に母親という生き物として、自分の子供を見つめている。

 

そして、「やげて母親になる子供たち」は、完璧に子供だ。将来、母親になる要素なんてみじんもない。「ママになりたいからさー」と話す女の子は、母親になる現実性なんて1%だって体内にないから、そんなセリフを言うことができるのだ。

 

母親に、なろうと思ってなる母親なんて、いない。母親って、なってしまうものなのだ。自分ではコントロールできない力に振り回されて、翻弄されて、支配されて。気づけば〇年、母親としてしか生きていいない、とある日思い知らされるのが、母親という生き物なのだ。

 

そういう母親と、そういう子供が描かれている漫画。帯に惑わされないでほしいな、と思う。

 

 

ねぇ、ママ (A.L.C.DX)

ねぇ、ママ (A.L.C.DX)

 

 

そして、母親っていうのはさ、なりたくてなってるわけじゃないんだよ。だからさ、子供たち、母親のことなんて、気にしなくていいんだよ。母親が、母親である自分をどうにもできないのは、母親自身のせいでさえないんだから、他人である君たちには、もっと何の責任もないんだよ。母親のことなんて、放っておきなよ。

 

幸せになっていいんだよ、子供は。

母親は、なかなかそんな風に描かれないけれど。