恋愛感情は母性本能のバグ

「母性本能」という言葉さえもが神話だということを踏まえた上で、あえてタイトルは分かりやすく。

 

Facebookが「〇年前の思い出」とか言って、ほんの数年前の子どもたちの写真を見せてくれる。たった数年前の写真なのに、子どもたちがもう思い出すこともできないくらい幼くて、驚く。

 

今、中1の長男を、3年前に地元の神社のお祭りに連れていったときの写真。射的の屋台で、台から前のめりに体を伸ばし、真剣に的をねらう息子の背中をスマホで撮り、私は「息子に最も『男』を感じる瞬間。」とキャプションを付けている。

 

今の彼は、瞬間も何も、ずっと、いつでも、どんなときも、「男」だ。背中は広く、頼もしい。声は低く、夫よりも背が高くなり(うちはノミの夫婦で私のほうが背が高い)、私に「子供」として甘えてくることはなくなった。

 

長男だけではなく、娘も、次男も、みんな、みんな、写真の中では幼い。幼い子供たちは、あの頃自分たちでは何もできなかった。子供たちではどこへも行けなかった。私がいなければ行けない場所に、私が連れていっている。私がそのときに撮った写真のことはおろか、その場所に行ったことも、もう覚えていないかもしれない。今、覚えているとしても、大人になったときには、忘れてしまっているだろう。卒業や、入学や、受験や、就職や、結婚や、出産といった、人生の大イベントと比べたら、ささいな、ほんのささいな、保育園のお祭りや、都会の中の小さな水族館のことや、連休に出かけた遊園地のことなんて、きっと、忘れてしまうだろう。

 

彼らは、私との思い出を忘れてしまうだろう。新しい恋人ができれば、昔の恋人を忘れてしまうように。ずっとずっと、思い出を作り続けなければ、古い思い出は、どんどん忘れていってしまうだろう。

 

私は忘れないだろう。私が生きている限り。彼らが成長し続ける限り。彼らがどんなに新しい人と出会い、新しい世界に羽ばたき、新しい幸せを見つけて、昔の小さな、ささいな、なんでもない幸せを忘れてしまったとしても。

 

私は、昔の恋人が忘れられないように、彼らのことを忘れないだろう。