私の言葉は何より自分を引き上げる

久しぶりにスピッツを聴いたらなんか切なくなったけど、実生活に影響はなし。

 

営業のノウハウ本、買った! ついでに『東京タラレバ娘』の最終巻も買いました。なるほどねー、という終わり方。倫子さんが結婚できる・できないに振り回されなくなったのはいいね(ってネタバレ? いやいやこのブログ誰も読んでないから大丈夫)。私はアラサーならぬアラフォーだし、独身ならぬ既婚者だけど、“次の結婚”ができる・できないに振り回されない、かっこいい女になれるのは理想かも! 願わくば、「この人を幸せにしたい」と思うようなイケメンが現れてくれますように…(←振り回されてる)。

 

かっこいい女になるための、仕事ですよ、仕事。

 

昨日、とある人からとあるサービスの提案をされ…。私の、この「人からやれと言われたことがつまらなくて仕方ない」性分は、どうしたらよいものか。その人は「やれば絶対人が来る」と言うのだけど、私は今の段階ではそれを「そうかなあ」としか思えない。人の言っていることより、自分の思うことが正解だということを証明したい気持ちがあるものだから、このサービスを無意識に失敗に追い込む=人が集まらないという結果を求めてしまう気がして仕方がない。そんな無駄な時間を過ごすのはもったいないことこの上ないから、何かどこかで転換しなければいけないと思うのだけど…、他のスタッフに丸投げするかなあ。そのスタッフは「いいと思います」と言っているわけなので、「じゃあやってみる?」ってことで、任せたら彼はやる気になるだろうか???

 

ビジネスでも人生でも、将来に正解はなくて、判断して選んだものを正解にしていくしかない、と思っている。その判断に、過去の分析を使う人もいれば、占いを使う人もいるし、多数決を使う人もいる。私は“直感”という、いちばん頼りない(というか頭悪そうな)方法を使ってしまうのだけれど、それはなんでかっていうと、直感がいちばん言い訳できないからなのだ。分析に頼ると、失敗したときにさらに失敗した分析をしなければならない。占いに頼ると、占いが外れたってことになってしまう。多数決は、責任が分散する。一人あたりの責任がいちばん少なくて済むという意味では、多数決って、ものすごく責任逃れがしやすくなるシステムだ。

 

私の直感で動いて失敗すれば「私の直感が間違ってました。すみませんでした」ですべてだ。私の直感が面白くてついて来てくれた人は、結果としては失敗という烙印を押されるかもしれないけど、面白かった過去は消せない。

 

って書いてはみたけれど、「失敗」って何が失敗なんだろう。楽しい時間を過ごすことよりほかに、人生に失敗ってあるんだろうか。何かに時間をつぎ込んで、思っていたような結果が残せなかったことを失敗というなら、人生なんてすべてが失敗だ。結果なんて気にせずに楽しい時間を過ごす、「失敗」も自分で引き受ける、あるいは仲間と分かち合う、そんな風に過ごせていくことが私には幸せだ。

 

うん、なんか、書いていたら前向きな気持ちになってきた。人から提案されたサービスでも、それを私がとことん面白くしていけばいいのだ。面白くして、人が集まって、お金も回ればそれが正解になる。提案は、正解でも失敗でもない。ここから正解にしていくのは、私だ。私がそれを正解にするのだ。

 

思いを言葉にするって、素晴らしいな。自分で自分を引き上げることができる。というか、私の言葉にはそういう力がある。私には、そういう力がある、と思っている。