あまのじゃく

人間って本当に不思議なもので、料理なんて大嫌い、と言って(書いて)いると、なぜだか料理したくなってくる。

 

お昼ににんじんと玉ねぎとベーコン買ってきて、仕事している間にコンソメキューブで煮て、さっき仕事途中でいい匂いに我慢できなくてスープばかり飲んでしまった。

 

水分がほとんどなくなったお鍋にあらごしトマトと水とコンソメキューブを加えて、また煮立てているけれど、これ、うまみはさっき飲み干してしまったスープに流れでてしまって、今残ってるのは、もしかしたら出し殻みたいなにんじん・玉ねぎ・ベーコンなのでは。

 

うまみの凝縮したスープのために身を挺した具材たち。贅沢って。そういうこと?

 

もちろん、そんなもったいないことしないで食べますけどね。フードバンクに興味もつくらいの人間ですから。

 

最近、よく思い出すのだけど、20代半ばで仲良くなった会社の友達(女性)に遊びにいこうと誘われて、会社帰りにコンビニに寄った後で彼女の家にいって、家についたら彼女はコンビニで買ったカップデザート(ゼリーみたいな)のを食べ始めて、半分くらい食べて「もう要らない」って、ぽいってごみ箱に入れたのよね。

 

あれは衝撃だったーーー。

 

「そんなこと、していいんだ!!!」って、本当にびっくりしたもん。

 

でも、たぶん「そんなこと」の基準って、本当に人それぞれで、家でDVD見てるときに片膝立てたり、バス停で立ってるときに足を広げたりしてると、“M美ちゃんはぜったいこんなことせーへんやろな”と、まるで別のおとなしーい友達のことを思い出す。

 

大学のとき、なりゆきで一緒に留学することになったK子は、「髪がぐしゃぐしゃの姿とか、家族にも見せたくないねん」って言ってて、それも衝撃だった。私にとって、家族ってどんな姿でも平気で見せられるものだったから。

 

この先、また誰かと暮らせるとしたら、「他者と暮らす」というのを意識して、努力で同居を長引かせることに挑戦してみたい。大学入学で家を出るまでは家族だから一緒に暮らすのが当たり前で、結婚してからは夫婦だから一緒に暮らすのが当たり前で、その2つしか知らずにここまで来てしまったから、3度目の正直。一緒に暮らすのが当たり前じゃない相手と、あえて一緒に暮らしてみたいと思う。

 

見果てぬ夢だけど、言うのはタダだから、書いておきます。