目のまわりの話

ちょっと心がざわざわするので、ココアを飲んで、自分の言葉を書きとめてから、仕事をしよう。

 

視力が落ちてきたな、と思う。スマホを見るのがつらい。文字を読むのがしんどい。眼科へ行って、メガネを作るべきか。

 

コンタクトを入れていた時期もあったし、メガネをかけていた時期もあったけど、いろいろめんどくさくて、レーシックを受けてからは、ものすごく快適に日々を過ごしていた。それが普通になってしまってはや10年? これほど長い年月を、目にかんする不自由をなにひとつ感じないで生きてきてしまったものだから、ほんの少し視力が落ちただけでつらい。

 

視力が落ちた、という言い方が正しいのかどうか、分からない。単に目が疲れているだけかもしれない。遠くが見づらくなったのか、近くが見づらくなったのかも、よく分からない。そもそも、私は自分の体のことがよく分からない。おなかが痛いような気がして病院へ行って、「いつから痛いですか」「どんな風に痛いですか」「どれくらいの痛みですか」と聞かれて、痛みに意識を向けると、本当に痛いのか、自分が勝手に痛いと思い込んでいたのか、今でも痛いのか、さっきまで痛かったけど今は痛くないだけなのか、よく分からなくなってしまう。

 

コンタクトを入れていたとき、ドライアイがひどくてワンデーしか使えなかったので、しょっちゅう眼科に行かなくてはいけなかった。そのたびに視力検査をしていた気がするけれど、見えるか見えないかは明確に判断できるにしても、丸ぶちの検査用のメガネをかけて、レンズをとっかえひっかえして、「さっきと今とどちらが見やすいですか」と聞かれても、いつも、うーん、どっちが見やすいか、分からん、と思っていた。さっきの方が見やすかった気もするし、今の方が見やすいような気もする。じっと見ていたら、なんだか疲れてきて、どんどん見づらくなってきている気もする。という感じで、ホントのことを言わなきゃ、正確に答えなきゃと、思えば思うほど、うまく答えられなくなる気がしていた。

 

そして、今、PCの画面を見ていて、目がつらい。これは、疲れているんだろうか。目薬をさしたらつらさが軽減するだろうか。疲れないような目の体力をつけるためにはどうしたらいいんだ。目の体力ってなんだ、目ヂカラか。

 

そういえば、ドンキホーテで買ったペンキみたいな黄色のアイシャドウは、中味はたっぷり残っていたけれど、ケースが割れた。以前の私だったら、中味がもったいなくて捨てられなかったけど、アイシャドウの粉よりも、毎日それを使う自分の心地よさが大事と気づいた今の私は、ごめんね、ありがと、と言いながら、ケースと本体が二つになってしまったアイシャドウをゴミ箱に捨てた。

 

さ、仕事しよ。