気づいてしまった私の美点

自分の母親とあんまり年齢のかわらないような女性から、なぜだかわからないけれどほんの数回お会いしただけでずいぶんと信頼していただけて、その女性がやりたいと思っていることについて「月々これだけお支払いするから手伝っていただけないかしら」と頼まれました。

 

正直、お手伝いの内容からしていただける金額が多いと言ってよいくらいの割合なので、喜んでお引き受けさせていただきました。先方も、喜んでくださっていると思う。

 

私は、その方(あまりに年上でありさらには人格者なので、「その女性」とか「その人」とか書くのがためらわれる)をとても尊敬しているんだけれども、なんというか、一緒に仕事をしてみると、うーん、この人の仕事のしかたはこういう風なのかー、と思うことがないわけではない。

 

たとえば、打ち合わせのための資料がメールで送られてきて、開いてみればほんの数行、箇条書きで「決めなきゃいけないこと」=「打ち合わせでみんなで考えてほしいこと」が書かれている、みたいな。

 

私だったら、「考えてほしいこと」を資料にするのではなくて、「私の考えた案」と「予想される困難」と「困難を解決するために必要な期間」を資料にするかなあ、と思った。

 

思ったんですが、こういうことを書くとなんだかエラそうなんですが、私がここで伝えたかったことは逆で、私はこの「決めなきゃいけないこと」を話し合った会議で、イヤな思いを全然しなかったんですね。資料の作り方は、うーん、と思ったけれど、打ち合わせが終わってみれば、決めなきゃいけないことはちゃんと決まったし、予想される困難もなとかクリアできそうな目処が立ったと思う。

 

仕事のしかたって、人によって全然ちがうものだなー、と思ったわけですよ。

 

で、さらにエラそうなことを言うと、今日気づいたんですが、私って、こうやって「人によって全然ちがうものだなー」と他者を受け入れられるところが、わりと人よりも優れている点なのではないか、と。

 

たとえば、この女性のやり方を知って、ちょっとこの人とは合いそうにないな、とか、この仕事のしかたには付き合ってられん、とか思ったとしたら、任せていただけるはずのお仕事も、お断りせざるをえないわけで。

 

自分のやり方とは違うけれども、その相手に応じて一緒に何かに取り組んでいけるのって、これはもしかしたら、私のすごい強みなんではないか、とそんなことを思ったのですねー。

 

もちろん、先方が「この女(私)とはやってられん」って感じて去っていった場合も多々あると思うので、私が勝手に自己評価してるだけなんですけど。

 

そんなことがありました、というお話。