さわるために買ってきたもの

実は、この夏は1週間ほど海外にいました。半分仕事、半分趣味、といったところでしょうか。というか、今の私にとって、仕事と仕事以外ってあんまり切り離せなくて、すべてが自分の人生を楽しむためにやっていること、という感じなので、あまり区別に意味がない、と思っています。めっちゃめちゃ公私混同、ではありますが、それを非難する人もいない。いい身分ですこと。

 

「すべてが自分の人生を楽しむためにやっていること」って、なんて素敵な響きでしょう。今の私にとっては、眠ることも、食べることも、仕事をすることも、ブログを書くことも、友達と会うことも、すべてが自分の人生を楽しむためにやっていることです。

 

ただ、唯一、やりたくないと思いながらやめられないことがあります。スマホツイッターをだらだら眺めることです。これ、本当にやめたいと思っているのに、やめられないのです。なんでだろう。

 

なんでだろう、と考えることには意味がなくて、少し前にはスマホのトップ画面から、何度もスライドさせなければ表示できない場所(って言い方で伝わりますかね…)へ、ツイッターのアイコンを移動させたことがありました。少しは抵抗になって、タイムラインを眺める時間が減るのではないかと。

 

しかし、トップ画面からアイコンへの移動時間が長くなっただけで、実質、ツイッターを開いている時間はあまり減りませんでした。

 

ツイッターを眺めているのは、たぶん、安心するのだと思います。いろんな人がいるなあ、と。嘆きたい、ぼやきたい、愚痴りたいのは、私だけではないのだなあ、と。

 

しかし、ツイッターのタイムラインを眺めるくらいなら、本を読めばいいのに、といつも思うのですが、タイムラインに並ぶ言葉と、本に並んでいる言葉は、何が違うのでしょうか。私には、ずっとこれが疑問です。

 

1つ思いつくのは、情報(文字)ではない部分で身体がラクであり、心地よいのではないか、ということ。

 

スマホと比べると、本は重い。そして、スマホの画面のさわり心地が、私にとっては本の紙の手触りよりも、心地よい。

 

この、心地よいという感覚はたぶん人によって好みの分かれるところであって、コットンの肌触りが大好き、という人もいれば、和紙をさわっていると落ち着く、という人もいるのだと思います。

 

私は、つるつるしたものが好きなのです。つるつるして、ひんやりしたさわり心地のものをさわっているのが好きなのです。

 

というわけで、海外に行って、1つだけ自分へのお土産として、こぶし大のハート形の石を買ってきました。きれいな石です。寝る前に、さわっていると、すごく落ち着くのです。これから、気分が落ち込みそうなときには、スマホではなくてハート形の石を手のひらに置こう、とそんなことを思っています。

 

ではでは。