悲しいことを上回る幸せ

ものすごく久しぶりに、1日2投稿。なんとなくそういう気分なんです。なんとなくそういう気分だからって、ビールを飲みにお店に寄ってしまったことを後悔した話を昼間に書きました。なんとなくそういう気分だから、2本目の投稿をしてみようと思ったわけですが、30分後にものすごく後悔していたらどうしよう。私、もう自分のこと、なんにも信用できないぞ。

 

今日は、気分のよいことが2つあって、2つとも、仕事関係のことです。1つは、大きな仕事を区切りのよいところまでやりきった。これは、ゼロの段階から、今のところの成果物で言うと、A4のWord文書にして、7ページほどの文章を作り上げたという段階です。自分で読み返してもなかなかに面白いし、世の中に出したら面白がってくれる人もいるのではないか、ということで、満足しています。いや、満足してちゃダメなんだけどね。まだ公開できるところまでずいぶんと作業が残っているので。

 

もう1つ、気分のよいことというのは、尊敬している女性から褒められた、ってことです。昨日、資料をつけて送ったメールの返事が来て、そこにいろいろ、私の仕事を褒める文言が並んでいたので、嬉しい。この人とは、とあるコラボを画策していて、私の力量なんて足元にも及ばないので、もしかしたらこの先、見切りをつけられて捨てられる可能性だってないわけではないけれど、そんなことを今、考えても仕方なくて、とにかくできることを一歩、一歩、やっていくしかなくて、その一歩を褒めてもらえた、ということなので、嬉しい。

 

こういう2つ、嬉しいことがあったから、たぶん気分が上がっているのだと思います。だから、ブログを書こうって気になったんだと思います。

 

でも、悲しいことも1つありました。それは、貯金の残高を見てしまったということです。貯金の残高を見てしまったことが悲しいのか、見てしまった数字がものすごく小さかったことが悲しいのか、それとも残高が引き出そうと思っていた金額に全く足りなかったことが悲しいのか。

 

全部です。全部悲しい。ってことは、悲しいことは3つなのか?

 

いや、なんか私、大丈夫だな。こうして書いてみても、貯金の残高がぜんぜんないってことなんて、どうでもいいくらい、最初に書いた2つが嬉しいことだな。

 

お金は後からついてくる、とかそういう都市伝説を、私は信じていませんが、信じていないからこそ、自分の感覚は信じる。お金のことさえ考えなかったら、私、めっちゃ幸せですわ。

 

さーて、帰ろうっと。ビール飲まずにまっすぐ帰るぞ!