リラックスできることが優先

ふと気づくと、なんだか私は元気になっていた。ほんの数ヶ月前だか、数週間前だか、覚えていないけれど、ホントにもう、早く私の人生終わらんかな…とそればかり考えていたのに、ふと気づくと、なんだか私は元気になっていた。

 

なんで?

 

不可解なことが起きると、人は、というか私は、すぐに「なんで?」と思ってしまう。けど、たぶんそこに理由なんてない。人は、というか私は、気分が上がることもあれば下がることもあるという、それだけのことだ。理由なんて、ない。

 

理由がともあれ、元気なのはいいことだ。いいことがあるから元気なのか、元気だからいいことなのか、ああ、また理由を探している。「だから」を捨てろ、私。

 

理由や分析を捨てて、じゃあ何を書こうか。

 

先週、Tシャツをもらった。もらったというか、ずいぶん前に応援していたクラウドファンディングのリターンがTシャツで、そのTシャツを受け取ったのだ。それが、えらく着心地がいい。てろてろとした薄い素材で、しかも着やせして見せるし、新しいTシャツだから、外に着ていきたい気もするのだけれど、とにかく着心地がいいので、いちばんリラックスできる家で着ている。なんなら寝るときにも着ている。たぶん、すぐに色があせたり形がくずれたりして、外へ着ていけるような見た目ではなくなると思う。でも、家でリラックスするときに着る、大事な部屋着にするから、それでいいのだ。自慢のTシャツを誰かに見せることより、私は自分のリラックスを優先するのだ。

 

私は、家の中でのリラックス具合にけっこうこだわりがあるのだなー、ということに、最近気づいた。家では、とにかく究極的にリラックスしたい。化粧なんて絶対したくないし、去年の夏にも書いたけど、外へは絶対はいていけないショートパンツ以外、はきたくない。Tシャツも、心地よいものに限る。デザインはどうでもいい。ただ、着心地のいいTシャツと、短パン。ノーメイク。家の中にいるときには、この格好でいたい。

 

家の中にいるときに、外へ着ていってもおかしくない程度にきゅうくつな格好をするという、それだけでも許せないのだ。家の中では究極的にリラックスしたいから(しつこい)。ほんっとどうでもいいことだと思うんですけど、もうね、自分に贅沢をさせてあげたいの。

 

ぜいたくをさせるっていうのは、おいしいものを食べにいくとか、ごうかなドレスを着るとか、高いアクセサリーを買うとかじゃなくて、誰にも迷惑をかけないところで、自分が心地よいと思える時間をとことん心地よいものにするという、それなんですよ、今の私にとって大切なのは。

 

元気になると、こういう偉そうなことを書くんですね、私は。

 

おやすみなさい。