好きなことができるのは良いが

やめておきゃいいのに、こんな時間まで事務所に残って、書きもの。誰に頼まれたわけでもなければ、お金になるかどうかもまだ分からないのに。だって、書くことが好きなんだから、仕方がない。

 

ついついやってしまうことを、していても良い環境にいられるというのは、幸せなことだなー。それが、もしかして、もしかしたら、お金に代わったら、もうそれは、ものすごく幸せなことだなー。

 

何も考えずに、ただひたすらに手を動かして、それがお金になるのであれば、私はそれをしたいとも思う。何もすることがなくて、頭ばかりを動かしていると、どんどん不安になる。不安になるというのは、具体的には金銭的なことだ。将来的に、経済的に、余裕がなくなって、したいこともできない、とにかく命をつなぐためにやりたくないことばかりしなきゃいけない、そんな生活になってしまうのが怖い。

 

と書きながら、自分が書いた文章にはいろいろ矛盾が含まれていることに気づく。何も考えずに手を動かしてお金になることを、私はするつもりがあるのである。つまりそれは、やりたくないことをひたすらやることを恐れている自分と、矛盾する。

 

そう考えると、何も恐れることはないのだ。考えるから不安になるのであって、考えずに手を動かしていれば、それでいい。だから、ブログのためにキーボードをたたいている時間は好きだ。

 

ブログではないけれど、出版物のための企画を考えて、そのためにせっせと文字をつらねている。自分は根気のある人間だとはまったく思っていないのだけれど、ふと気づいてみれば、1年くらいをかけて、企画のための文章がある程度たまってきて、そろそろ人に見せられるか、という段階まで来ている。これって、相当根気が必要な作業だし、それを無意識にできてしまうというのは、私はこの作業が本当に好きなんだろうな。

 

しかし、好きな作業のためだとは言っても、寝不足になってしまってはいけないのだ。本当は、そろそろ家に帰って床についている時間なのだ。まだデスク回りは散らかったままだし、コーヒーカップも洗わなきゃいけないし、なんせこのあとたっぷり電車に30分は乗らなきゃいけないし、あと、買い物して帰らないと、家に食料が何もないのだ。子どもたちにお菓子を買っておくと約束してしまったし。

 

なんだか目が痛い。目が疲れているのともちょっと違う気がする。ひりひりする痛さだ。なんなんだろう、これは。

 

最近、電車の中で目をつぶって音楽を聴くことに不安がある。不安というと、ちょっと違うんだけど。

 

1000字となりましたので、この話はまた今度。おやすみなさい。