怒りの解釈

まあ、なんとなくいろいろ書きたいような、しかしどう書いたらいいのか分からないような、まあ、いつもの感じです。自分の身に起こったことって、すぐには書けないのですよ。時間は、力。時間が経つことで、自分が経験したことを解釈できるようになり、解釈を言葉にできるようになる。今はまだ、経験したばかりで、解釈ができていない状態です。

 

解釈ができていない状態で何を受け止めているかというと、怒りです。今の私の中には、怒りが渦巻いています。

 

あ、今ひとつ、わかりました。受け止めているものが喜びだったり幸せだったり楽しさだったりしたら、私はすぐにそれを言葉にできるのだと思う。

 

だけど、怒りをそのまま言葉にすると、誰かを悲しませたり、傷つけたりするかもしれないから、それをためらってしまう。誰も傷つけないとしても、怒りを感情のままに表現するのは、よくないことだという意識が、私の中に強くある。

 

考えてみれば、私の身に起こった何か、その何かが起こった時点でも、私は怒りを感じていました。が、それを表現することはしなかった。目の前にいる相手に対して、怒りをぶつけたり、嫌みにしてチラ見せしてみせたり、そんなことも、しなかった。相手にはもちろん、何も伝わらなったと思う。

 

そうだ。私は怒っていたのだ。そして、今も怒っているのだ。

 

その怒りの表現方法が、分からないのだ。かろうじて適切かと思っているのが、時間をおいて、解釈に変えることなのだ。

 

時間をおいても、その怒りが変わらなかったら、きっと私は、自分に怒りの感情を許すと思う。時間をおいて、その怒りが悲しみに変わったら、ああ、私は悲しかったんだな、と解釈すると思う。時間がたって、怒りを笑い飛ばせるようになったら、まああれはあれで面白い経験だった、と振り返ることができるのだと思う。

 

今は、まだ怒りを出すことを自分に許せない状態。相手に悪気がなかっただけに、余計。

 

はあ。

 

腹が立つというか、情けないというか。口汚く、すべてを暴露してののしることができたら、それはそれですっきりするのかもしれないですけどねえ…。

 

すべてのことにはタイミングというものがあって、タイミングというものは物事の60%くらいを決定しているのではないか、というのが私の考え。25歳のときに出会う人と、45歳のときに出会う人では、出会うことの意味が全然違うのよね。って、20年はちょっと長すぎかもしれないけど。43歳のときに経験することと、44歳のときに経験することだって、大きく違うわけで。

 

ま、そのうちなにか書くかもしれないし、書かないかもしれない。

 

おやすみなさい。さすがにまだ寝ません。