嫌いだと思うこととその理由

少し前から書いてますけど、私のことを慕ってくれてると思うのだけど、どうにも私はそれがうっとおしい、みたいな知人がいる、という話。

 

私は女性で、その知人というのも女性で、具体的には私のなかで、どうもなんだか苦手だなあ、という相手が2名いるのですが、一人は少し年上で、一人は少し年下。

 

この2人になにか共通項があるわけではない。説明しようとしても、何が苦手なんだか、よく分からない。あえて言えば「私に媚びているような気がする」のだけれど、それが媚びなのか、純粋な親愛の態度なのかは、私には分からないし、私に対して同じような態度をとる知人はほかにもいる。

 

だけど、なぜその2人だけがどうにも苦手、と思うのだろうか、というのを探っていたのだけれど、最近ふと、理由なんかないんじゃないか、ということに気が付いた。

 

たとえば、中学生や高校生のとき、クラスの中でなんとなく気が合う子とつるんで、気が付けば1年間ずっと同じグループで過ごしていた、とか。社会人になって習いごとを始めてしばらくしたら、その中でも一緒に食事したり習いごとと関係なく付き合いが続く友人ができたりとか。子どもの保育園のママ友同士だって、なんとなく気が合う人もいれば、全然友達にはならずに卒園を迎える人もいる。

 

まあ、こういうのは仲がよくなる、という程度の「なんとなく」だけれど、恋愛だって「なんとなく」相手を好きになるのだし、好きだと言われたからといって「なんとなく」その気になれない人はいるし、これまで担任として当たった先生たちだって、「なんとなく」気が合う先生もいれば、「なんとなく」好きになれない先生もいた。

 

だから、私を慕ってくれるのは何らかの理由があるかもしれないし、たまたまそういう人が私の近くに来てくれた、というのは状況として事実だけれども、そういう人たちの中で、「なんとなく」どうも好きになれない人がいる、というのは、むしろ普通のことなんじゃないかなあ、と、考え始めたわけです。

 

ずっと、私は「なんであの人のことをこんな風に疎ましく思っちゃうんだろうなあ」と原因を探したり、心の狭い自分を責めたりしていたのだけれど、まあ、たぶん、理由なんてないんですよ。

 

理由がないからといって、あからさまに「お前なんか嫌いだ!」なんて態度はとりませんよ、もちろん。心の中で納得するのと、言動に表すのとは、それはもう、完全に違う、別のことです。心の中は自由です。恋愛だって、不倫だって、どんな相手だって、好きになるのは自由です。

 

心の中で理由もなく思ってしまうことを、身体をいかにコントロールしてふるまうか、というのが理性というものですからね。

 

私はある程度は理性的な人間ですが、同時に感情をおろそかにはしないというだけで。

 

嫌いな人間は、めっちゃ嫌いです。という話。