とにかく仕事はしている

えええええん、今日こそは、今日こそは、夏に向けて洋服を買いにいきたかったのに、なーんで、日付が変わる2時間前になっても、まだ会社にいるのだああああ。

 

もう、着る服がないよ。困った。

 

5,6年前に買った服が、さすがに似合わなくなってきて、もう今年こそは服を買おう、と決めているのに。うーむ。今週も、来週も、また、この年齢に似合わない服を着つづけなければいけないのか…憂鬱だ。

 

仕方がない。今年は仕事をする、と決めたのだ。仕事だけが私の人生じゃない、と思って、好き勝手やってきた一昨年とか、去年とか、あんまり気分が上がらなかったのだ。もちろん仕事だけが私の人生ではないけれど、それでもやっぱり、最優先に仕事をして、仕事、やりきった!と思える状態じゃないと、人生そのものが楽しくないというか、私自信が私を認めてあげられない感覚があるのだ。

 

だから、今年は仕事をする。仕事、楽しい。イヤでやってる仕事じゃないし。この人と一緒に仕事したい、と思う人に、応えてもらっている感覚があるし。

 

もちろん、まだまだ勉強不足だし、力不足だし、ふがいないことこの上ないのだけれど。それでもまあ、自分でやれるだけのことはやろう、と思っている、今日このごろ。

 

しっかし、明日から着る洋服がないよ。困ったな。

 

こんなこと書いてないで、さっさと帰るなり、仕事を片付けるなり、すればいいと分かってはいるのだけれど。おっと、そういえばやり残した仕事がある。えー、どうしよ。やるか…。せめて、それだけはやって帰るか…。

 

仕事のできる、できないって、何で決まるのかな、というのが、5年前くらいの悩みでした。自分が、「仕事のできない人間」なんじゃないか、っていうのが、ずっと、ずっと不安でした。仕事の成果が目に見えて数字として表れる業種ではなかったため、自分が会社の売り上げに貢献しているのかどうか、チームの成績に影響を与えているのかどうか、社会に役立っているのかどうか、いつも不安でした。いろんな会社の友達に、「仕事ができるってどういうこと?」「どういう人が仕事のできる人材なの?」と聞いて回っていた。

 

今、自分で仕事のできる人間かどうかって問われたら、うーん、どうかな。やっぱりその不安はなくならないけれど、それでも自分のやりたいことをやりたいようにできている、っていう意味では、仕事ができている感覚は、ある。

 

あとは、売上なんだよなー。数字、数字、数字。数字が全てではない、けれども、数字はおそろかにできない。

 

はい、文字数が1000という数字を超えました。あとひとつだけ仕事を片付けて帰ります。