また1年分の特権を手に入れた

なんだかとても忙しい1週間でした。毎日、家に帰る時間が遅くなって、寝不足が続いて、それでも仕事が終わらなくて。

 

焦りよりも、寝たい気持ちが強いです。しっかり休まないと、きげんが悪くなったり、イライラして余計なものを食べてしまったりするのがイヤです。あと、仕事のクオリティが下がるのも避けたいです。

 

忙しい=仕事がある、というのはありがたいことなのですが、なかなかこのバランスが難しい。せめて、がーっと仕事して、あー、帰るのが遅くなってしまったなー、という次の日には、早めにかえって、ゆっくりできる日がほしい。今週は、それが1日もなかった。

 

ま、贅沢な話、なのかもしれませんが。

 

少し前に、誕生日が過ぎまして、44歳になりました。母親から「もうアラフォーと言うにはおこがましいね」とかメールが来て、うるさいわー(笑)、と思いました。私、年を取ることは怖くないし。

 

年上の女性で、誕生日をお祝いすると「めでたくないですよ」とか、「言わないでください、誕生日が来るのイヤなんです」って言う人がいるのだけれど、私はこれがあんまり好きじゃない。年を取るのを否定するのって、なんだか女性は若い方が価値がある、という評価を肯定するみたいで、イヤだ。

 

私だって、若い女の子を見て、かわいいなあ、と思うし、ああ、もう私はあの若さを失ってしまったのだなあ、ということは分かる。そして、若い女性しかもてないものを求めている人に対して、私がそれを与えることができない、というのも分かる。

 

だけど、若さだって、美しさだって、もっと言えば、強さだって、賢さだって、さらに言えば、才能だって、お金だって、ないものを欲しがるって、不毛なことだ。

 

私には、あるものはあるし、ないものはない。あるものを大切にして、ないものは欲しいなら努力するけど、手に入らないと分かっていて、他人がもっているものを恨んだりねたんだり、ただ単純にうらやましがったりしても、自分は幸せにならない。

 

44歳になって、これから何が手に入るのかは分からない。自分で手に入れたいものが手に入るのか、それともどんどん無欲になっていくのかは分からない。

 

要らないものばかりが増えていく、というイメージはない。要らないものは要らない、と拒否したり、避けたりすればいいだけの話だと思っているから。

 

何度も書いてるけど、欲しいものを欲しいと言って、要らないものを要らないと言えるのは、おばちゃんの特権だ。これこそが、今の私が手に入れているものなのだから、この特権を使って44歳も生きていくよー。