他人の人生をコントロールしない

こんばんは。日曜日の夕方、やるべきことはたくさんあるにもかかわらず、のんびりと過ごしております。

 

このところ、長男とまた仲が良く。受験生でもありますので、夜遅くまで私のところにいます。そうすると、ブログが書けませんので、今、書いております。たぶん今日も、もう少し遅くなったら、問題集をもって私のところに来ると思います。

 

受験というシステムよ、ありがとう。英語という教科よ、ありがとう。英語が受験科目なおかげで、私の愛する息子は、英語を教えてもらうという名目で私のところへ来てくれます。ああ、愛しいわが子。

 

しかし長男、受験をがんばるつもりは、あまりないらしい。それでも、とりあえず勉強をしているのだから、えらいと思う。

 

私は、勉強しろとも言わないし、偏差値の高い学校に入れるようにがんばれとも言わないし、もっとちゃんと将来のことを考えろとも言わない。そんなこと、息子が考えて自分で決めたらいい。「私は基本的にはきみのこと応援してるから」ということだけは伝えてある。「勉強、私でわかるところなら教えるよ」とも言ってある。「お弁当が必要な高校だったり、私立でお父さんに反対されたりしたら、いちおう私に相談しな」とも知らせてある。もう、それだけ手渡してあるから、それでいいでしょ、と思っている。

 

私は、誰かが他人の人生をコントロールしようとするのが大嫌いだ。数日前に、外国人の男性が、保育園だか幼稚園だかで虐待をしていた、というニュースで動画が流れてきて、思わず見てしまって、しばらく体が動かないくらい、ショックを受けた。暴力的な場面を見るのは、あまり得意ではない。特にその映像は、体の大きな男性が、小さな子供の襟首をつかんで無理やり移動させていたり、見るに堪えなかった。

 

暴力を見たくない、という心地悪さもさることながら、私の心の中にわいた怒りをすこし分析してみると、それは、その男性が小さな子供たちが彼の思い通りにふるまわないことに対して、暴力で従わせようとしている、という、その点に私は怒りを覚えたのだと思った。小さい子を、暴力で脅して、自分の思い通りに行動させようとする。自分の思い通りにならない相手を暴力で思い通りにする。それが、何より許せない。

 

その暴力を、私は止められない。成人男性の言動や考え方を、変えることはできないと思っている。子どもたち、逃げて。そういう考え方やふるまいの持ち主からは、逃げて。子どもたちが逃げられないからこそ、近くにいる人が、守ってあげなきゃいけないのに。

 

あの映像を見たときは、ほんとにしばらく、電車の中でふるえました。頭の中が怒りで白くなる感覚があった。

 

他人の人生をコントロールしようとする人間が、私は許せない。