すぐに反応して書くのは本質ではない

みんな大好きまけもけさん。誰もが読んでるぐわぐわ団。

 

まけもけさんのブログを取り上げたことで、まけもけさんのブログで取り上げていただきましたし、スターをたくさんいただきましたし、読者も増えましたし、ありがたいことです。便乗、便乗。まけもけさん、ありがとうございます。

 

今日は、いろんなことがありました。仕事もなんだかんだと忙しくて、ピンチを切り抜けた感じもあるし、そして帰りに久しぶりに友人と食事をしてきたら、ショッキングな話にもなり、そしていま、髪の毛がタバコ臭い。食事をしてたお店の隣の人たちがタバコを吸っていたので。

 

私はタバコに関しては寛容です。父親もスモーカーだし。タバコの煙もそれほど気にならない。もちろん、次の日までにおいが残るのはイヤなので、これからお風呂で洗いますけどね。

 

はい、今、お風呂のお湯を張っております。

 

友達から聞かされたショッキングな話のことは、書きません。話してくれた彼女に悪いから、とかそういうことも少しあるけれど、なんというか、私自身の中で、解釈するのに時間がかかる感じでしょうか。話を聞いてすぐ、それに対しての感想を書くのって、なんだかすごくリスキーな感じがするのです。ただの反射、たんなる反応であって、それに対する理解ができていないのではないか、みたいな。

 

とある出来事が起こったり、何か驚くようなことを知ったり、思いがけない事実に出くわしたりしたとき、人はその人らしからぬ反応をするものではないでしょうか。それって、その人の本質ではなくて、ただの防衛本能だったり、反射神経だったりする。

 

少なくとも、私はそんな気がします。だから、数日待ってみて、その数日の間、自分の考えが変わらなかったり、固まってきたり、確信できたりして、初めてその解釈を言葉にすることができる。

 

少なくとも私は、それが誠実な態度なのではないかと思います。それが私の本質である、と思いたい。

 

でも、その場ですぐに反応するのがその人の本質、っていう人もいますよね。そういう人は、反応をすぐに言葉にするのがその人の個性なのでしょうね。それが、一貫していればいいのでしょうけど。なんとなく、いつもいつも、取り繕っていかなきゃいけないような気がして、それはそれで大変そう、という気がしてしまいます。

 

まけもけさんのブログで取り上げていただいたとき、すぐに反応して書けなかったのは、そんなわけなのです。やっと、落ちついてお礼を申し上げられる状態になりました。ありがとうございました。

 

おやすみなさい。まだ寝ないけど。

 

↑〆の言葉に決めた途端、すでに飽きてきました…。