かかえているリスクと寂しさ

最近、なんだかちょっと忘れっぽくてですねえ。昨日の夜は、ネットサーフィンしてたらじゃばじゃばじゃばじゃば…と水の音が聞こえてきて、「うおおおおお、お風呂のお湯を入れてたの、忘れてたあああああ!」となりました。じゃばじゃば…は、お湯が湯船からあふれた音でした。ああ、そういえばこれも忘れてたけど、そんなわけで今日、家に帰ったら昨日のお湯がまだ湯船に残ってるんだわ。流すの、もったいなくて。

 

ブログのことも、布団に入ってから、「あ、そういえば今日ブログ書いてない」って思い出す日が何日か続いて、こんな感じです。

 

ま、お風呂のお湯はともかく、ブログは誰に頼まれて書いてるわけでもないのでね。

 

私の中で、ダメダメな部分ってものすごく多いのですが、他人からはダメダメには見えない部分もたくさんあるようで。万人から信頼を得られるなんてことは申しませんが、この人からは信頼してもらいたいなあ、と思う人には、信頼してもらっている、ような気がします。いや、どうかな。そうでもないかな。と、またすぐに反例を思いつく。

 

うむー。

 

30代のころの私は、なんであんなにやりたいことがたくさんあったのだろう。いつも、時間がなくて、寝不足で、足りない、足りない、と思っていた。

 

今は、自分の人生を持て余している。やるべきことはたくさんあるけれど。集中力も続かないし。まあこんなもんでいいかな、と思ってしまうタイミングが、すぐに来てしまう。年をとった、ってそういうことなのかな。

 

ふう。ひとつずつを片付けていくしかないのだ。そのひとつずつのスピードと、密度を上げていくしかないのだ。

 

やりたくないことは、ひとつもやっていない。趣味も、休息も、仕事も、自分がやりたくてやっている。誰かにやらされていること、やらざるを得なくてやっていること、そんなことに人生を使うのはもったいない。

 

楽しみつつ、休みつつ、やりたいことで、人生をうめていけたらいいなあ。こうして、好き勝手に文章を書くことも含めて。

 

やりたいこと、の中に、会いたい人と会う、っていうのが含まれていないのが、そういえば、ちょっと寂しい。今日、旧い異性の友人が、遠方から私を訪ねてきてくれた。彼は、私に会いたいと思ってくれたのだろうな。うれしいことだ。

 

私の会いたい人って誰だろう。会いたい人はいるけど、いろいろリスクが…って、まあいつもこの話ばかり書いてますね。リスクを避けてでも守りたいものがあるってことが、たぶん今の私の幸せ、なのでしょう。

 

おやすみなさい。(まだ寝ませんけど。)