私のことを気にかけてくれる人

なんとなくこの半年くらい、世界に対して反抗期というか、ぐれてしまっているというか、ほとんど世捨て人のような生き方をしている…と思っているのですが、それでもなぜか、老若男女問わず、一定の人々が私のことを好きでいてくださるようで、ありがたいことです。美術館のタダ券もらったからよかったら一緒に行く?と友人に声をかけたら応じてくれたし、仕事の相談をさせてくださいとメールした年上の男性からはせっかくの機会なのでよかったらお寿司につきあってくださいとお返事いただいた。もうこの先の人生で、男性からお寿司に誘われるなんてないかもしれないと思ってたから、嬉しいです。純粋に。たとえ相手が父親と同じ年齢だとしても。

 

今、かなり好き勝手にわがままな生き方をしていると思うけれど、それでも私のことを見捨てないというか、私に会いたいと思ってくれる人がいるというのは、本当に幸せなことです。たぶん、私は自分自身でわがままにふるまっているつもりで、それでもまわりにお構いなしにふるまうとか、奇妙キテレツな行動に走るとか、そういうことはしない人間、なんだろうな。

 

子供たちも、まだ私のことを見捨てていないみたいだ。次男は今年、10歳になる。「つの付くうちは甘えさせ」という言葉があって、「やっつ、ここのつ」の9歳までは子どもに甘えさせてやりなさい、という意味らしい。けど、うちの9歳は、もうあんまり甘えてこない。逆に、「ちょっとあんたお母さんのひざに来なさい」「えええ、なんでー」「いいから、お母さんがぎゅーしたいんだから、こっち来なさい」「もーやだよー仕方ないなー」みたいな会話がかわされております。さっきも同じようなやりとりをしたけど、息子をひざに乗せて「10歳になったらもうこんなことしないからさ。今だけね、ぎゅー」とハグしたら「もー、しょうがないなー」と言っていた。

 

長男も、娘も、次男も、みんな大人だ。うちの子どもたちは、大人だ。

 

私がいちばん子供っぽいかもな。家族の中で、好き勝手にふるまってるから。ほとんど何の責任も果たしてないし。

 

何度も、何度も、書いているけれど、このブログを始めたころ、私は一人で老いていくのが怖かった。老いて、私のまわりに誰もいなくなってしまうのが怖かった。だから、「誰か私と一緒に老いてくれないか」というタイトルのブログを始めて、別居を始めた夫とは違う他の、伴侶を見つけたいと思っていた。

 

今は、その願いはない。だって、私と一緒にいようがいまいが、みんな老いていくのだから。

 

いつもこのブログを読んでくださっている皆さん、ありがとうございます。そろそろ、一緒に1年以上を老いてきた感じですよね。長い間お付き合いいただき、本当に感謝です。

 

たぶん、ずっとこんな感じで続けます。人生も、ブログも。

 

おやすみなさい。