子供たちが私に与えてくれるもの

先ほどマニキュアを塗りまして、乾かす時間を使ってブログを書いております。

 

今日は、何を書こうかなー。

 

子供たち、明日から新学期だそうです。中3の長男は「クラス替えだー」と言っていました。そうか、クラス替えか。しかも中学校最後の学年。仲のいい子と一緒になれるといいね。あるいは、一緒になった子たちと仲良くなれるといいね。

 

どっちかというと、後者は心配していないかな。誰と一緒になったとしても、息子は如才なく仲良くやっていくと思う。

 

けど、これまで仲の良かった子たちと一緒になれなくて、「3年生もお前らと一緒がよかったなー」という思いを抱き続けて卒業してくことになったら、ちょっとかわいそうだな、と思う。まあ、かわいそうだと思ったところで仕方がないのだけど。

 

小6になる娘は、クラス替えのない学年で、でも担任の先生は変わる可能性があるので「担任の先生、誰がいい?」と聞いたら、「別に、今の先生でいい」とのこと。担任を変わってほしいとか、早く別の先生になってほしいとか、そう思わずに去年1年いられたのだったら、よかった、と思う。5年生の女の子なんて、けっこう複雑な年齢だと思うし。娘の周辺が穏やかなのであれば、それはありがたいことだ。

 

私はこの4月になっても、何も変わらないかな。新入社員が入ってくるような大きな会社でもないし。退社してしまうほど年配の社員もいないし(というか、正社員はいない会社だし。)GW後に五月病にならないように、適当にがんばり続けるだけって感じかなー。

 

何か区切りが欲しいような気もするし、区切りがあったところでその後にまた人生が続くことも、もう分かったし、淡々と、粛々と、人生を進めていくだけのことかな。

 

大きな喜びとか、ものすごい悲しみとか、ありえないほどの怒りとか、そういうものから遠ざかってしまって久しい。身の回りにそういうものが起こらなくなったのか、あるいは気持ちが動かなくなったのか。

 

と、書きつつ、最近いちばん嬉しかったことって何かなー、と考えて、思い出した。長男から言われた言葉がものすごくうれしかったのだ。

 

私は中学校のときに国語の教科書で読んだヘッセの『少年の日の思い出』がものすごく印象深くて、特に過ちを犯した主人公に対する母親の言動がなんだかとても良いな、と思っていて、いつか子供を持ったらこういう母親になりたい、と思っていたのである。

 

先日、長男と「最近の教科書って何が載ってんの?」という話になり、息子が「《エーミールと僕》だったかな」とか言い出したので、「それ、『少年の日の思い出』でしょ」と言うと、「ああ、そうそう。その話読んで、主人公のお母さんが、俺の母さんに似てるなって思ったんだよね」とさらっと言ったのですよ。

 

死んでもいいって、こういうことを言うんだろうな、と思いましたよ。死なないですけどね。

 

マニキュア乾いたかな。乾いたらお風呂に入るのだ。

 

おやすみなさい。