娘と過ごしている時間

子どもたち、春休み。家で過ごす時間が増える。私の家へ来る時間も増える。私は春休みではないけれど、それでもなんとか子どもたちと過ごす時間を増やそうと試みる。

 

娘に読んでやっている本がある。『世界を変えた100人の女の子の物語』。うまくリンクが貼れないけど。

 

ときどき、ときどき、ほんの少しずつ、数ページずつ、時間があるときに、読んでやる。娘はもう6年生だから、漢字も読めるし、黙読もできる。けれど、私が読んでやる。二人で布団の上に座って、隣どうしにならんで、体温を感じながら、読んでやる。

 

この本を買おうと思った理由はたくさんある。

娘に本を読んでもらいたかったから。

娘に世界で活躍した女性のことを知ってもらいたかったから。

娘に知識をつけたかったから。

娘に私から何かプレゼントをしたかったから。

娘とコミュニケーションをとりたかったから。

ネットで見た評判の書籍がどんな内容か確かめたかったから。

近所に応援したい書店があったから。

 

そして今、この本は、ただただ母と娘の一緒の時間を増やすことに、役立っている。私が読んでやらなくてもどんどん本を読むような、娘がそんな風に勤勉な小学生だったら、私はうれしいだろう。だけど、「ママ、読んで」と本を持ってきて私の隣に座ってくれる小学生であることは、もっとうれしい。

 

この本は、古今東西から、名を遺した女性を集めていて、中には娘とほとんど生まれた年が変わらないような、存命の人物も扱っている。

 

生年と没年が書かれているので、娘は「この人、長生きだったんだね」とか、「この人、〇歳で死んじゃったんだね」ということを気にする。

 

そこから、「私が〇歳になったら、ママは何歳?」という話になり、20年後でもまだ娘は31歳、私もまだ63歳、という話になった。私の母は70歳を過ぎてまだまだ元気なので、「おばあちゃんもまだ元気だもんね。私が31歳になっても、まだママは元気だね。人生って意外に長いんだね」などと言う。

 

私が娘に「その頃、私が元気かどうか分からないよ。それよりなにより、☓☓が私より先に死んじゃダメだからね。子どもが親より先に死ぬのは何より悲しいんだからね。☓☓、どこにも行かないでね」と言ったら、娘が「ママもね。どこにも行かないでね」と。

 

私はどこかに行きたかった気もするし、いつかどこかに行かなくてはならない日がくると思っているけれど、とりあえず今は、ここにいる。

 

どこにも行かないで、つまりここにいてほしい、と最愛の娘が言っているのだから。