当たり前にできることとできないこと

中2の長男が、貸していた1000円を返してくれました。えらい。すごい。これ、できない人はできないし、ましてや親子なんだし、なあなあにしちゃうこともできたのに、ちゃんと「はいこれ、借りてた1000円」と渡してきた。えらいよ、息子。これで私は、ますます彼を信用するようになった。

 

だいたい私は、いつ貸したかも覚えていない。3日前だったか、先週だったか。貸したときの場面はよく覚えていて、翌日に友達とカラオケだかボーリングだかに行くけど、お金が足りないから貸して、と言われたのだ。しかし、そのときの私の財布の中には1600円しか入ってなかったのですよねー。1600円ぜんぶ貸しても友達と遊ぶには足りないか、と思い、「あ、そういえばずーっと前のキミのおお年玉をここに入れてたままだから、これ使っていいよ」と貯金箱に入っていた1000円渡して、「え、じゃあ2600円もらって、いくら返せばいいの」と言ったから、「1000円はもともとキミのお年玉。600円は私からのお小遣い。1000円だけ返して」と言ったら、本当に1000円返してくれた。息子、えらい。

 

あと、私が子どもたちのことをえらいな、と思うのは、私が何かしてあげたときにちゃんと「ありがとう」と言うこと。「お茶ちょうだい」「はいどうぞ」「ありがとう」みたいな。

 

当たり前のようで当たり前じゃないこと。

 

私は子どもたちに「勉強しなさい」と言わないけれど、「ちゃんと友達作りなさい」とも言ったことがない。子どもたちみんな、ちゃんと自分で友達を作っているから。これ、できない子はできないというか、難しい子もいるんじゃないかな。勉強ができるよりも、友達がいることの方が、人生には助けになる。だから、子どもたち、すごいと思う。

 

私が、当たり前のようで当たり前にできていないことは何かな。毎晩ちゃんと食器を洗うこととか、洗濯物をたたむこととか。

 

…忙しいとか時間がないとかじゃなくて、本当に本当に家事が嫌いで苦手で、こういうのがちゃんとできない、私。いつもいつも、夕飯食べたあとの洗い物ができなくて、寝るときにシンクに汚れた食器が重ねられたままなのだけど、最近ではもう、夜のうちに洗うことをあきらめて、翌朝に洗うことにした。やらなきゃ、やらなきゃ、でもなんかできない、と思っているのって、ストレスなのだ。もう、夜には洗い物、しません。

 

その代わりといっては何だが、朝にはちゃんと洗い物をするのです。なんだか知らないけど、朝にはちゃんとできるの。だから、それでいいの。

 

こんな私はきっと、このままずっと一人暮らしなんだろうなー。ま、いいけど。

 

おやすみなさい。