完璧ではなくて最良を目指す

突如として偉そうなことを言いますが、私、子どもの頃は神童だったんですよ。小学校では同級生、というか、同学年には9人しかいなくて、9人の中で、作文を書いてもポスターを描いても習字をやっても理科の研究をやっても代表に選ばれるのはいつも私だったし、校歌を歌うときのピアノ伴奏ができるのは学年で私しかいなかったし、児童会長は前期も後期も私でした。ついでに体も丈夫で、健康優良児に加えて良い歯の児童にも選ばれていました。「趣味は賞状を集めること」って、無邪気に言ってましたからね。

 

なんというか、人生のデフォルト(?)がそれなので、一番でないことは大したことではない、とか、選ばれないことには意味がない、みたいなのが、なんとなくしみついていました。それで、自分を責めるとか、自己肯定感が低いとか、自虐的とか無気力とか、そういう方向に向かうのではなくて、なんとなくいつでも、完璧を目指さなければいけない、という感じだったのですよね。仕事を始めてから。

 

私は出版社で書籍を作っていた時期が長かったのですが、完璧な書籍を作る、ということができなくて、いつも苦しんでいました。いや、苦しんでいた、というのは言い過ぎか。自分の担当した製品について、最後までこれでいいのか、と思う気持ちと、もうこれでいいや、という気持ちと、これならいいだろう、という気持ちと、そういうのが混ざり合った感じで、世に出していました。よっしゃ完璧、見てみろどうだ!みたいな気持ちで製品を手放したことは、正直、ない。

 

3年ほど前から会社を経営する立場になって、完璧な経営、理想とする経営に、ちっともちっとも近づけなくて、わりと苦しんでいました。最近まで、これならいいだろう、と思えず、これでいいのか、いやよくない、という気持ちばかりで、これでいいや、と思うこともできず。

 

なんですが、この3ヶ月ほどで、苦しみを抜けて、完璧ではなくて最良を目指す、という風に考え方が変わりました。私は私で、できることをやる。私は私の、最良を目指す。それは、経営という理想のだれかの最高の形ではなくて、私自身の最良。

 

事業は縮小するかもしれない。人員も減らさなければいけないかもしれない。手放さなければいけないタイミングがあるかもしれない。

 

だけど、それは私にとっての最良であって、やるだけのことはやった、と思えるならそれでいい。というか、結果がどうあれ、私はやれることしかやれないのだ、と、思えるようになりました。

 

苦しみを抜けたからといって、会社が儲かるようになるわけではありませんがね。でも、苦しそうな経営者と一緒に働くの、まわりの人はイヤだろうと思うので。

 

そんなわけで、やれることをやって、最良の経営を目指します。

 

おやすみなさい。明日も働くぞ~。