ずっと挑戦をあきらめていた

この2年ほど、夢や希望を言葉にするのをためらってきました。ためらう、というよりも避けてきた、と言ったほうがいいかもしれません。

 

「〇〇したい」「××になりたい」。こんな夢や希望を語った瞬間、そのための努力をしなければいけない、という恐怖にとらわれていました。

 

悩みを解決するためには、細分化し、具体化すること。行動を起こすためには自分の恐怖を取り除くこと。夢や希望をかなえたあとの自分を思い描いて、そこに至るまでの一歩を踏み出すこと。

 

勉強会に出たり、本を読んだり、ブログで方法を探したりしているうち、知識を身につければつけるほど、それをしなければいけなくなるのが怖くて、もっと言えば、できなかったときの自分がかっこ悪くて、自分が成し遂げたいこと、なりたい人間の姿を、口にするのを控えてきました。

 

不言実行、をカッコいいとは思いません。有言実行。それでいいと思います。それがいいと思います。ただ、有言不実行。これが、カッコ悪い。あくまでも、私の価値観です。私は一貫性や、行動力を重視する人間です。言うことが状況や立場によってころころ変わる人や口だけの人間、思いつきを語るだけで行動力の伴わない人間は、尊敬できません。

 

それで誰かを軽蔑したり蛇蝎のごとく嫌ったり、といったことまではしないまでも、どうしてもそういう人を軽んじてしまう気持ちは芽生えるし、何より、自分がそうならないことを、心がけてきました。

 

だけど、その一方で、それはどんどん挑戦をしなくなっている、ということでもあって。

 

〇〇になりたい、と何かを目指すこと。それは素晴らしいことだと思います。未来の自分の姿を思い描いて、そのために努力すること。その価値には私もおおいに賛同するし、できることなら、私もそうありたい。むしろ、困難な夢であっても果敢にチャレンジするような、そんな人間でありたい。

 

年齢なんて関係なく。やりたいことがあるなら、始めたらいい。今日は、残りの人生でいちばん若い日なのだから。年齢を言い訳にするのは、あまりにかっこ悪い。

 

そう、挑戦を崇めることと、挑戦をあきらめることは、紙一重なのです。挑戦しないことがかっこ悪いからこそ、挑戦をしない、という選択をしてしまう。それが、今日までの私でした。

 

でも、今日、私は決めました。カッコ悪くてもいい。失敗してもいい。私には、挑戦しなければいけないことがある。

 

体重を落とそう。いくらなんでも、太りすぎだってばよ、私。

 

おやすみなさい。