寂しいと言われるのが嬉しい

うふふ、自慢です。小5の娘と、娘と私の関係性の話。

 

あまりに毎日仕事ばかりなので、今月21日に祝日があるのを見つけて、前日の仕事帰りにふらっと熱海あたりに出かけて、一泊温泉でゆっくりして帰ってこようかなあ、なんてことを考えていました。

 

それを娘に話したら、娘が「え、そうなの? なんか、寂しい」と。

 

基本的に娘は父親と暮らしているので、私が一泊自分の家に帰ってこなくても、困ったりすることはないはずなのですが、それでも素直に「寂しい」と言ってくれたことがまず嬉しかった。私の不在をさみしいと思ってくれるなんて、そんなに嬉しいことはない。

 

そしてその後でさらに、「お母さんが家にいないと思うと寂しい」と、もう一度言葉にしてくれたのも、嬉しかった。なんとなく寂しいような気がする、だけではなくて、いつもいる場所にいないと想像することが寂しい、とそれを言葉で説明してくれたこと、説明できたこと、それが二番目に嬉しかった。

 

だけど、さらに言葉を続けて、「あ、でもお母さんこのごろ全然そういうところに行ってないから、行きたかったら行ってもいいよ」と。こうして私を気遣ってくれたのも嬉しかったけれど、さらにさらに、「行きたかったら行ってもいいけど、どっちでもいいなら行かないでほしい」と、私(母親)と自分(娘自身)を分けて、そのうえで自分の気持ちを伝えてくれたこと、これがもっと嬉しかった。

 

そして何よりも嬉しかったのは、娘が、私という存在を、正直な自分の気持ちを伝えられる相手だと認識していてくれたこと。寂しいけど寂しいと言ってはいけない、本当は寂しいけど寂しいところを見せてはいけない、そんな風に思わずに、さみしいという気持ちを伝えられる相手として私を考えていること、私が娘とそういう関係を持てているということが、嬉しかった。

 

だから私も、「うん、じゃあやっぱり行くのやめる。〇〇(娘の名前)がお母さんのいないことを寂しいって言ってくれてうれしいよ」」と伝えた。

 

まあ、だいたい一人で熱海に行ったって、たいして面白くもないのだ。温泉が好きなわけでもないし。ただ、休みたいというポーズが欲しいだけなのだ、私は。

 

この前、小3の次男がうっかり「おばあちゃんが来てくれると、家に帰ってきても寂しくないからいい」と言ったら、娘がハッとした顔で、「バカ何いってんの」とたしなめていた。

 

子どもたち、寂しいんだろうな。小学校から帰ってきても、父親も母親もいないんだもんな。でも、その寂しさを見せないようにしてくれてるんだな。本能的に、無意識に。

 

そんなことがあったばかりなので、娘が寂しいと言ってくれたのが、余計に嬉しかったのでした。

 

そして私は休みなく働くのであった…。おやすみなさい。