ぐずぐずするときはブログを書く

驚くほどに、やる気が出なくて、げんなりしています。やる気が出ないということは、やる気を出さなくてもいいということで、たぶん、それを責める必要もないのだろうと思いますが、やる気を出したいと思っているのに出せていないのが、自分でげんなりする原因なのだと思います。

 

やってもやらなくてもどちらでもいい。がんばってもがんばらなくてもどちらでもいい。これって、真実なのだろうと思いますが、真実が必ずしも私を幸せにしてくれるとは限らないのです。どうせなら、だまし続けてほしかった。そんな気分ですよ。私は人生に傷ついている。

 

働くなら働く。学ぶなら学ぶ。休むなら休む。遊ぶなら遊ぶ。めりはりをつけて、人生の瞬間、瞬間を味わわないと、何も成し遂げることのできない人生だった、と悔やむことになりそうだ。

 

悔やみたくはない、と思う一方で、もうすでに、いくつかのことを成し遂げたし、もう充分じゃん、と思う私がいる。

 

だったらもう、休めばいいのに。ここまでがんばってきた、と思うなら、休んでしまえばいいのに。

 

休もうかなあ。

 

自分が何をしたいのかが分からない。自分のしたいことが分からないのが、いちばんつらい。

 

あなたはどうしたいの、と聞かれるのがしんどい。これこれこうしたい、と答えることで、努力をしなければいけない気持ちになるから、ってこれ、しばらく前にも書いたな。

 

私はもう、努力をしたくないのかな。努力をしないことで起こる、どんなことを恐れているのかな。

 

誰かに話を聞いてもらったら、この悩みから抜け出せるかな。悩みを聞いてもらうことにためらっているのは、どうしてなのかな。

 

なんだか毎日がつらいわ。耐えられないつらさなら、やめたり逃げたりできるのに、我慢しようと思えばできないことはない、というか、たぶんこのつらさは私にしか分からないもので、ほかの人には理解できない、見えない悩みだと思うから、思いをどこに持っていったらいいのか分からない。

 

あー、やだやだ。やることやって、休もう。ぐじぐじ、やらなきゃ、でもやりたくない、ってぐずぐずしてるのが、もったいない。パソコン画面をつらつら眺めているのも、スマホをごちゃごちゃいじくりまわしているのも、目に良くない。

 

悩んでるくらいないらラジオ体操でもすればいいのだ。あるいは腹筋とかスクワットとか。バランスボールではずむとか。歌を歌うとか。

 

歌じゃなくても朗読とかいいかも。声を出すのは、脳の老化防止にもいいらしいし。

 

よし、ちょっと元気出た。