過去の自分を受け止める

昨日は久しぶりにたくさん食べて、たくさんワイン飲んで、ちょっと気分悪くなるかなー、と思ったけど、大丈夫だった。けど、朝起きて、あれー、今日って何曜日だっけー、休めるんだっけー、寝坊できるんだっけー、と思ったけど、火曜日は基本的に週の中でも早く起きなければいけないことが多い日で、えーん、休みたいよー、と思った。結局、1月2日からずっと休んでない。とほほ。へとへと。

 

おいしいものが食べられて、ぐっすり寝られて、適度に疲れるくらいの仕事もあって、うるさがりながらも一緒にいてくれる子どもたちがいて、これ以上の幸せはないのだ。これ以上の幸せがないからこそ、もっと頑張らなきゃいけないって、そう思う私は、きっととても真面目な人間なんだろう。

 

このブログを書き始めて、もう1年半くらいになると思うけど、書き始めたころとか、1年前とか、半年前でさえ、読み返すと自分が何かと不安になっていたり、やさぐれていたり、傷ついていたり、しているので面白い。あの頃は、ツラかったんだなあ、と思う。そのときのツラさを、ちゃんと書きとめることができている自分の筆力に感心しつつ、この前、自分がかわいそうだったころの日記を読み返して泣いていたら、そこに息子がやってきて、泣いている私を見て「何やってんの?」と驚いていたので、「自分の日記を読み返して泣いてるの~。このお母さんってば、ほんっと文章うまいわ~」と言ったら、「きも」と言われました。ええ、気持ち悪いでしょうよ。自分でもそう思います。

 

でも、自分の気持ちを自分でちゃんと書き留めてあげるのは、自分を大事にしている感じがします。傷ついていることを、ちゃんと傷ついたと書いているのは、傷ついていることをなかったことにしていない、ということだから。傷ついていたころの自分は、自分であって、自分ではない。あのときの自分を、傷ついたんだね、ツラかったんだね、そこを乗り越えてきてエラかったね、と今の自分が認めてあげることって、なんだか生きる希望につながる気がする。

 

嬉しかったことも、幸せだったことも、書きとめておくことで、そのときの気持ちをもういちど思い出すこともできるし、よかったねえ、あのときは本当によかったねえ、と祝福してあげることもできる。

 

ただ、恥ずかしかったことは、書いておかなくていいような気がします。うおおおお、忘れたかったのに、あんな恥ずかしい思いをしたこと、思い出してしまったあああ、と過去の自分を恨むことになりそうです。

 

そうやって考えると、怒りも、あまり思い出したくない。怒りとか恥って、乗り越えるべきものじゃないんだな。悲しみや悔しさは、その先の人生の糧にすることができるけれども。

 

悲しみを、受け止める。書きとめる。これは、私にとって大きなケアになる気がします。

 

さて、仕事に戻ります~。