元気ですが毒を吐きます

去年の今ごろと、今年の今ごろ(っていうか、今)を比べると、去年の今ごろの私を落ち込ませていたものの状況はさらに悪化している(ぶっちゃけ会社の売り上げが致命的)なんだけど、私の心理状態としては、今のほうが格段に良い。

 

去年は、落ちていたなあ、と思う。それは、一昨年までの私や、今の私と比べたらかなりのダウン状態だった、というだけで、普通に仕事をしていたし、人とも会っていたし、何かを欠席したりキャンセルしたりということもなかったのだけど、メンタルはさんざんな状態だったし、さらにそれとリンクして、身体的にもきつかった。割れるような頭痛にしょっちゅう悩まされていたし、いつもいつもお腹が痛いような気がしていたし、「痛い」という感覚は錯覚かもしれない、と自分に言い聞かせていたけれど、今は、いくら疑ってみてもどこも痛くないので、やっぱり去年の今ごろは本当に「痛かった」んだと分かる。

 

人から見たら、「会社の売り上げが致命的」とか書いてる時点でのん気すぎるだろ、って感じかもしれないけれど、私からしてみたら「焦ってみたところでどうにもならんだろ」って話だ。去年の今ごろはそれこそ深刻にとらえていたからこそ身体的な不調まで引き起こしたけれど、どうにもこうにも改善しなかったのだし、同じように改善できないのであれば、心理的、身体的に楽に生きていられる今年の方が、私はずっと幸せだ。

 

がんばりなさいよ、とか、まじめにやりなさいよ、というアドバイスを拒否するつもりはないけれど、私が病むほどな状態じゃないとがんばってるとは認めない、みたいな人とおつきあいするのはごめんこうむりたい。私の人生経験として、大好きな相手にどんなに尽くしたところで、私は「いいかげんにやっている」と見なされて、私が効率的な方法や作業バランスの改善を提案すると「君は自分がサボりたいだけなんだよね。こっちは真剣にやってるのに、よくそんな自分が楽をできるようなことを言えるよね」と言われるのだ。人生の重要な場面において、このようなことが2回も起きたのと、昨年の飲み会で「うさぎはやることなすこと軽いんだよね。いいかげんに見えるんだよ」と言われたことで、確信した。

 

周りにどう見えようが、知らん。

 

真面目に見えようが、不真面目に見えようが、軽くさばいているように見えようが、必死にこなしているように見えようが、私は、私のありたい自分であるだけだ。仕事は誠実に対応するし、人生以外の大切な部分も、それ以上に大切にする。

 

私から大切にされないからって、拗ねるんじゃないよ、全く。私ほど、自分のことを大切にできる人なんていないんだ。私は私を、いちばん大切にしてあげてるんだ。分かったか。ふん、だ。