息子に言われて嬉しかった言葉

新しく読者になってくださった方がいるから、というわけではないのですが、私はいつも、なるべく読んでくださる方に分かりやすい文章を書きたい、と思っています。

 

とは言え、いつもいつも自己紹介から書くわけにもいかないので、私の置かれている状況が分かりづらかったり、独特の書き方でイヤミなんだかジョークなんだかわかりづらい、ということがあるかもしれませんが、それはまあ、お許しください。

 

なんかまわりくどい書き出しになってしまいました。

 

ときどきここを訪れてくださっている方はご存知の通りですが、子ども3人いるのですが、夫とは別居しています。子どもたちは基本的には夫と暮らしていますが、ごくごく近所に住んでいるので、本当にしょっちゅう子どもたちはうちに来ます。離婚しないのは、条件が合わないからというのと、わざわざ離婚して親権を手放すよりも、このままの状況で子どもといつでも会える(子どもたちもいつでも私に会える)状況にしておいたほうがいいのではないか、という判断です。

 

ほぼ完全な別居状態になって、まもなく2年です。その前の1年くらいも、我慢できる部分だけは一緒の空間にいたり、夫が留守の間だけは家事を手伝ったり、していましたが、徐々にフェードアウトするような感じで、もう絶対に関係は修復できないだろう、というところまで来ました。

 

いや、えーと、私たち夫婦の話はいいんです。正直、今の私はだんだん憎しみも薄れつつあり、わざわざ離婚する必要もないか、という感じで、一言でいえば、無関心です。あー、そういえば私、まだ夫がいたわ、みたいな。

 

私が離婚を決めた3年前から今までの間に、子どもたちの状況もものすごく変わりました。それこそ、このブログを書き始めたころの長男は、ものすごい勢いで自立しはじめていて(中学校に入学したというタイミングもあったと思うのだけど)、ああ、一緒に住むことのできない私は、もう母親としてこの子にかかわってやることは一生できないのだな…と、さみしい思いをしていた気がします。「さみしい思い」と書くことで、あのとき感じていたのはさみしい思いだけではなく、焦りや、後悔や、あきらめや、愛しさや、それでも自分の信念は曲げられないという決意や、そういういろいろなものが混ざっていた、とも思っているのですが。

 

いずれにしても、ああ、私はもう母親ではなくなってしまうのだな、と、思っていました。何もしてやれることがないのだな、と。

 

ですが、今日、中2になった長男が遊びにきて、漫画『メジャー』を買いたいと言い、中古を探しつつ、「いやいや、買うわけじゃないからね」「えー、買ってよ。ちゃんと勉強もするから」「ウソだね。今でさえiPadばっかりのくせに」などと、買う、買わない、の交渉をしながら、そうは言っても私もお金ないしなーと思って「あーもう、私はいつまできみの子育てをしなきゃいけないんでしょうね」と言ったら、すぐさま「ずっとだよ(怒)!」と言ってくれたのです。

 

何でしょう。うれしい。私、まだきみの子育て、していいのね。ありがとう。

 

漫画は買いませんけどね。