ほんの少しの違和感を克服した話

少し前にコーヒーの粉が切れて、その日に行ったスーパーで適当なものを買ったら、あまり好みの味ではなくて、それでもコーヒーを飲みたいと思うのだけど、淹れてもやっぱりあんまりおいしくないな、と思ってしまって、マグカップ1杯分を飲み切れずに残してしまう、ということが続いていた。

 

妥協してコーヒー豆を買ってしまった自分が腹立たしくて、いっそのこと捨ててしまって新しいコーヒー豆を買いなおそうか、とも思ったのだけど、捨ててしまうのはあまりにもったいなくて、でもやっぱりコーヒーを淹れてもおいしくなくて、イヤな気分を味わい続けていた。

 

砂糖とゼラチンを入れてコーヒーゼリーにして食べようか、とか、チョコレートシロップが冷蔵庫に入っているからまぜて溶かしてカフェモカ風にしようか、とか、考えてはみたけれど、それは私の「おいしいコーヒーを飲みたい」という希望とは違うもので、単に「うっかり買ってしまったおいしくないコーヒー豆を捨てるという罪悪感を引き受ける代わりになんとか消費したい」という希望を叶えるものでしか、ない。

 

私はおいしいコーヒーを飲みたいのだ。自分で淹れたおいしいコーヒーを飲むというのが、私のやりたいことなのだ。

 

そしてまた少し前のある日、この日は仕事の営業で出かけたのだけれど、なんとその営業先が定休日で、完全な徒労だったのだけど、その徒労をごまかすために、隣で開いていた雑貨店に入って、ほとんど衝動買いのように、コーヒー豆を入れておく缶を買った。それまで、コーヒー豆は袋のまま、なるべく空気をぬいて、セロテープでとめて冷蔵庫に入れていたのだけど。

 

営業の仕事がうまくいかなかったという失敗をごまかすための衝動買い、ヤケ買い、だったけれど、そのついでにスーパーで違う種類のコーヒー豆を買った。今度は、ちゃんと自分が好きそうな豆を買った。

 

そして、家に帰って、冷蔵庫に入っていたおいしくないコーヒー豆を缶に入れて、新しく買ったコーヒー豆をブレンドした。うすい茶色と濃い茶色が混ざった。

 

スプーンでざっくりとまぜて、コーヒーを淹れてみたら、とてもおいしかった。好きだと思えなかった豆を捨てなくてよかった、と思った。ヤケ買いで買った缶まで、とてもかわいらしいと思えるようになった。

 

ほんの少しの違和感を、克服した満足感は、思いのほか大きい。大したことではないけれど、違和感にふたをせず、我慢を続けるのではなく、自分の力で状況を変えられた、ということに、私はおおげさなようだけど、誇りを感じている。今は、コーヒーを淹れるたびに幸せ。