食べることは幸せなのだけど

ここ1か月半ほど、食べたいものを食べたいだけ食べる、というのをやっていて、本当にもう、お腹はみっともないことになっているし、気になるのが首のまわりの肉。なんか、あごがなくなってきているのと、頭を動かすと背中と後頭部をつなぐ部分の肉が邪魔な感じ。今月下旬に美容院を予約しているのだけれど、美容師さんに首に肉がついたなーって思われるのもイヤだし、髪を切ってもらっている間、あごにたっぷり肉のついた自分の顔を見ていなきゃいけないのも苦痛だなあ、と思う。

 

思うのだけれど、食べるのがやめられない。さっき、さしてお腹もすいていないのに、とんこつラーメンを食べて、その後で明太子ごはんまで頼んでしまった。ラーメンの汁まで残さずたいらげて、明太子ごはんは大きめのお茶碗だったのに、ぺろりとお腹におさめてしまった。

 

こんなに、食べたいだけ食べているのは久しぶりだ。食べたいだけ食べたら、太りたくないだけ太るというか、老けたくないだけ老けるということがわかっているので、太ったり老けたりする代わりに、食べることを我慢していた。たぶん、ここ5、6年くらい。

 

抜群のスタイルとか、魅惑のプロポーションではないにしても、それなりに年齢のわりには体型を維持していたと思う。1ケ月半ほど前までの私は。

 

だけど、今の私は違う。

 

食べたいだけ食べるのは、正直、気持ちがいい。食べちゃダメ、食べちゃダメ、と思いながら生きているよりも、生命を謳歌している感じがする。食物を口に入れ、お腹におさめ、肉として蓄える。生物的に、幸せだ。

 

だけど、人生を謳歌している感じかというと、ちょっと違う。「生命」って、生物的な命だ。「人生」って、人の生き方だ。

 

食べたいだけ食べて、理性とか知性とか見栄とか賞賛とか、そういうものから無縁なのは、生命としては幸せでも、人生としてはあまり嬉しいものではない、という気がする。

 

少なくとも、私は。

 

なんだかんだ言って、人からの見た目って大事なのだ。見た目だけじゃなくて、どう思われているか。

 

人からの視線だけを気にしていてるのもバカみたいだけれど、結局、私にとっては、誰かが私を認めてくれることが、自分で自分を認めることにもつながるのだ。

 

今月末で、今とりくんでいるストレスフルなプロジェクトが終わる。そしたら、もう一度、自分の人生を、自分の手に取りかえそう。人から美しいと思ってもらえる=自分で自分を認められるような、私の人生を、もういちど手中に、コントロール下に、取り返そう。

 

あー、満腹、満腹。