こうして垂れ流して書くのが好き

あれ、昨日、ブログ書いたつもりになってたけど、書いてなかったか。「これを書こう」って思ったものもあったような気がするのだけど、それさえも思い出せない。

 

私にとって、ブログとはそのときに脳内に思い浮かんだものを即興で日本語に、それも書き言葉にしていく、という作業なので、その意味ではものすごくライブ感があるというか、フレッシュなものというか、一過性のものというか、一期一会のものというか、そういうもの。二度と、同じ文章は書けない。二度と、同じ状態の同じ思考経路の同じ私という人間にはなれないので。

 

セッション、みたいな感じかな。ジャズのセッションって、その場でミュージシャンたちがやるらしいんだけど、それがどういう風にできあがるのか、どうやって、即興で合わせるのか、自分にはまったく分からない。そういう技って何もないので。ダンスも。即興でペアダンスを踊るとか、ダンスバトルとか、どうやってやるんだ。どうやって、その技が生み出されるんだ。分からない。

 

分からないけれど、私には、脳内を書き言葉に起こしていくという技はある。ブログって何を書いたらいいか分からない、という人がたぶんたくさんいると思うけれども、私にとって、それは「分かる」ことだ。読者の欲求や、クライアントの要求など、何も考えずに書いていいのであれば、いつでも書ける。いつだって書ける。

 

ただ、私を知っている人が読むとなると、話は別。私が築き上げてきたものを、何かを書くことで壊したくはないから。どんなことを書く人間なのか、どんなことを考えている人間なのか、どんな親しい人間にも(と書きつつ、そこまで親しい人間がそもそも私にはあまりいないと思っているけれど)、出していない面は多々あるので。

 

もう1年以上、このブログを匿名で、誰にも知らせずに、なるべく、なるべく、現実の自分と(ってこれも現実の自分だけど)リンクさせないように書いている。私にはそういう場所が必要なのだ。

 

基本的に、人間は群れで生きていく動物だと思っているので。私だって、孤独にはなりたくない。だけれど、一人になりたいときはある。

 

好きな時に好きな人と好きなだけいられたらいい。好きなときにひとりでいたいだけいられたらいい。

 

考えを出し入れする自由。脳の中を見せたり見せなかったり、加減をする自由。どんなことを考えようと心は自由だけれど、それを、出したり出さなかったりという調整をする権利が人にはある。そして、思い切り全部を出すためには、技量もいる。

 

私に、そういう技量はないです。あるのは即興性だけ。