できるならやらなきゃ病

まあ、なんだか、なかなかに…ハードな夏休みを迎えております。

 

ハードかな。ハードだと思う。さすがにこれは、ハードだと言ってよいと思う。

 

んだけど、毎日24時間ずっとハードなわけでもなく、めっちゃ笑える瞬間もあれば、完全に脱力してるときもあって、私って、多重人格者なのか? とか、境界性人格障害ってやつか? とか、ネットで調べてしまったくらいなんだけど、自分では、よくわからない…。

 

別居している夫との間で少しやりとりがあって、大したことではないのになぜかものすごく不安になってしまったり、相手の出方を一生懸命考えてしまったり、これまで別居に至ってしまった経緯を自分で理由づけたり。

 

不安も、考えるのも、理由づけるのも、全部、全部、私の脳内で起こっていることなので、現実としては、何も変わってないのです。脳みそが疲れるだけで、現実として、問題は何も解決しない。

 

そういうときは、目に見えるものを変えなければいけないのです。

 

と、過ぎてしまえば簡単に言えるけど、数日間、あーでもない、こーでもない、どーしよう、どーしよう、と悩んでましたが、結局、夫にメールを書きました。具体的な内容については伏せますが。

 

メールを書いて送るという行為は、目に見えるものだから。置かれている環境を変えるには、自分の変えられる現実を、変えるしかない。

 

私は、自分の変えられる現実を変えないでいる自分が、許せないのですよ。いろんな人からいろんなアドバイスを受けて、でも、そのアドバイスにそのまま従うには、自分では譲れない部分とか、変なプライドが邪魔する部分とか、なんだかよくわからないけれどまるっとそのまま言われた通りにはできない理由がいろいろあるのですが、そういう理由をひとつずつつぶしていって、自分で納得して、変えられる現実があるのであれば、自分で変えないといけない、と、そういうヘンな責任感というか、自己決定絶対論というか、そんな意識に支配されているのですよね、私は。

 

だから、離婚したい、と言いつつしていない自分が、本当は許せない。それが子供のためだとは言え、自分で自分を裏切っているのではないか、という疑惑が、じわじわと自分を苦しめている。

 

他のだれかや、別の何かのせいに、してしまえたらラクなのかもしれないけれど。基本的に、というか、かなり絶対的に、「できないんじゃなくて、やってないだけだ」教の信者なんですよね、私。

 

本当は、できないことって、たくさんあっていいと思うんですけど。やってないことを、やってないままにしたって、いいと思うんですけど。

 

こうして、自分に言い聞かせることと、自分が本当に納得することと、これまた別、なんだよなあ。

 

おやすみなさい。