親子それぞれの人生

人と比べると落ち込んだり、調子に乗ったり、いろいろあんまりよくなくて、比べるべきものは過去の自分だ、みたいに言われることがありますが、現在の私の場合、過去の自分と比べると、あーあ、年とっちまったなあ、みたいにこれまた凹んだり、あるいは、あーあ、もうどうでもいいわ、みたいに開き直ってしまったり、どっちにしても、あんまり人間的に成長できない気がして、よくないですわー。

 

そもそも、人間が死ぬまで成長し続けなきゃいけないという前提そのものが、いかがなものか。人間、死ぬまで勉強はしなきゃいけないと思いますよ。というか、私にとって、年をとるというのは勉強をするということだと思います。

 

勉強というのは、学校の科目だけではありません。人間の感情を知るのも勉強。人様の人生を我がごとのように味わうのも勉強。他人と自分は違うと知るのも勉強。

 

私の母は今年70歳で、経済的には私とも、私の弟ともきっちり独立しています(お互いにどちらからどちらへも、仕送りはしていません)が、「子どもが成人した親にとって、いつまでも子どもの親でいられるかは、いかに自分が子どもから何かを学べるか、学ぼうとするか、その姿勢があるかないか、だけだと思う」みたいなことを言うのです。素晴らしいと思いませんか。

 

私は未だに、困ると母親に助けを求めるし、本当に落ち込んだときでも母親だけは私の味方でいてくれると思っているし、いつまでも私は甘える側の人間だと思っているのですが、私の人生にかかわることで、母は自分の人生ではない人生にふりかかる問題を知り、日々学んでいる、というのです。母ちゃん、えらすぎる…。

 

私も、そんな母親になりたいものです。私は、義務教育の間、非の打ちどころのない優等生でしたが、中学2年生の長男は、なかなかにやんちゃです。この前も、友達と深夜まで外出していて、警察に補導されたと言っていました。青春ですなー。お友達に迷惑をかけたとしたら申し訳ないけれど、私は「うひょー、いいねいいね!」と思いつつ、「大丈夫なの? 保護者が必要だったら言いなさいよ。あんたまだいちおう未成年なんだから」と言ったら、「全然だいじょうぶ」と冷たくあしらわれました。しょぼん。

 

しょぼん、っていうか、何も学んでませんね、私。ただ、息子の人生は私の人生と全然違うものになりそうなので、見ていて面白いです。今のところ、ものすごく楽しそうなので、私は安心しています。

 

この前、ネットを使って何をしているのか分からないから、それはまあ、私としても不安だなあ、と思って、「私が守ってあげられないところには行かないでね」と言ったら、「うん」と素直に応じていました。

 

「私の守れないところには行かないで」。私、これ我ながら自分の子育ての名言だと思っているのですが、名言というのは聞き手や読み手が判断するものなので、発した本人が「名言だ!」って言ってるところで何の重みもありませんわね。

 

さーて、今日も勉強します。