気まぐれな私の体が好き

ちょっとヒマな時間ができると、すぐにスマホFacebookTwitterのアイコンを押してしまう。「おっと、いかんいかん、こんなことをしていはいかん」と思ってアプリを閉じたところで、さて何をするんだったかな、と閉じたばかりのアプリをまた開いたりすることが、冗談じゃなくて頻繁に起こるので、これはもう、まごうことなき中毒である。南無…。

 

特にFacebookは、「最近、書き込みする気にもならないわー、全然投稿してないー」と思いながらも自分のタイムラインをたどると、週に2回くらいはテキストをアップしたりしていて、そうすると友達の反応も気になってついついアプリを開くし、これはもう、まごうことなき…とほほ。

 

今も、いい加減、ちょっとその時間を減らしたいな、と思っているのだけど、2,3年前にも「いやもう、ほんっとFacebookやめよう」と思ったことがあった。でも、やめられないのは自分で分かっていた。だから、とりあえず半分に減らそう、と心がけることにした。それまで通勤途中で6回くらいアプリを開いていたとしたら、3回にする。そういうイメージ。

 

それは、わりとうまくいった。中毒性のあるものを、いきなりやめるというのは無理なのだ。そして、やめる必要がないこともあるのだ。

 

ずっと何年もたばこをやめたい、と言いつつやめていない友人のことが思い浮かんで、そういえば私は全然お酒を飲んでいないな、ということにも思い当たった。3ヶ月くらいか? 飲みたいなー、とは思うものの、飲めなくてつらい、ということはない。飲めなくてつまらない、ということもない。

 

むしろ、お金の無駄遣いがなくなったし、体重も少しずつ落ちている。これは、お酒をやめたからそれだけで体重が落ちたわけではなくて、お酒を飲むと自制が効かなくなるので、ついついいろいろ食べてしまうことが原因だったと思う。週に1回飲むだけでも、あとの6日間のダイエットを無に帰してしまっていたのだ、飲酒は。

 

自分のコントロールの話ですね。SNSも、お酒も、ダイエットも。最近、自分の時間をコントロールできていない感じがして、かなり落ち込んでいました。落ち込むから、ますます何もできない。何もできないから、ますます落ち込む。

 

ただただ、ひたすら自堕落に過ごして、昨日の朝、ふと元気になりました。Twitterを見ているときに、おっと、私はこんなことをしている場合じゃない、と。

 

きっかけはTwitterで流れてきた動画から、あ、そういえばこういう動画って見たことなかったな、と思い、それを見ているときの自分の感情に気づいたこと。あ、そうか。私、これが好きだったな、もう一回、これを頑張ってみようかな、と思えたこと。

 

だけど、そこに原因を求めたり、「私はこうして元気になりました!」みたいな方法論を振りかざすつもりもない。非科学的(に私には見える)な季節や星の流れみたいなものも、あったとは思えない。

 

ただ、ふと元気になった。

 

私の脳みそは気まぐれだということだと思う。気まぐれだから、勉強やダイエットが続かなかったり、ついついFacebookにはまってしまったりもするけれど、気まぐれだからふと元気になれたりもするので、私は私の脳みそが好きだ。脳みそだけじゃなくて、今、こうしてリズミカルにパソコンのキーボードをタッチしている指の先まで、自分の細胞ひとつひとつが全部好きだ。